3ヶ国語をあやつるトライリンガルラッパーのスゴい人!

母親は日本人。父親は香港人。
将来は日本と中国をつなぐ架け橋となる人間となってほしいという願いをこめて“日華”と名づけられた。
10歳で来日し高校時代から音楽活動も始め、順風満帆な日々を過ごす。しかし19歳のニューヨーク留学がきっかけで大きく人生が変わった。薬物に手を出し、自殺未遂を繰り返した。
懸命にリハビリを続ける中で“中国と日本の架け橋となる”という使命を自覚し、
日本で初めて日本語・英語・中国語の3ヶ国語でラップを始めた。
彼の曲は北京オリンピック男子ビーチバレーや、楽天岩隈投手の登場曲にも起用されている。
彼が挫折の中から得た気付きを教えていただきましょう。
さあ・・・トライリンガルラッパー、日華様の登場です!

「感謝」
19歳でニューヨークに留学をした時、薬物に手を出してしまって3回自殺未遂をしました。

ダンプカーに突っ込んでいった時にもし友達が止めてくれていなかったらと考えると・・・本当に怖いです。
薬物中毒状態でニューヨークの15番街の病院に緊急入院して、そのまま日本に帰国しました。
帰国してからも鬱状態で言語障害も重なり、まともに歩くことができず、赤ちゃんのようにハイハイをすることしか出来ませんでした。
ニューヨークに留学をしてルームメイトと遊ぶうちに学校の勉強に徐々についていくことができなくなって、その狭間で苦しんで、薬物に手を出してしまいました。
自由に動き回れないし、言語障害も重なって上手く話せません。その分自分と向き合う時間がたっぷりとありました。周囲の目線や自我などの鎧を全て脱ぎ捨てて、「自分が本当にやりたいことは何か?」ということを突き詰めて考えました。
“日華”という名前が示すように日本と中国の関係が良くなることにこの命を使おうと思いました。
こう自覚した瞬間に、全てが変わりました。リハビリの効果がメキメキ現れ、出会う人が変わり、物事が急に進みだしたのです。
日本の音楽シーンで中国語を入れてラップをしているのは私しかいません。日本語・英語・中国語の3ヶ国語でラップをすることに対しては、賛否両論あります。
だけど、日本の若者が中国の言葉を通して中国に興味を持ってくれたら嬉しいです。
今は音楽活動の他にも日本の文化と香港の文化の両方がわかる強みを生かして日本の会社が香港に進出するお手伝いもしています。
ニューヨークで味わった挫折感。あれを超える経験は、これから先も無いと思います。今はどんなことがあっても乗り越えるタフネスさが身につきました。
今でもたまにフラッシュバックすることがありますが、あのことがあったから、“日本と中国の橋渡しをする”という使命を自覚することができました。
挫折があったからこそ、今の自分がある。そのことに感謝しています。

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