1997年、16歳の時に交通事故に遭い1998年の長野パラリンピックを病室のテレビで見て世界で活躍する日本選手に憧れ、1998年12月にチェアスキーを始めた。
2002年、競技を始めてわずか4年でソルトレイクシティパラリンピックに出場。まさにトントン拍子だった。
しかし、海外遠征では競技以外の移動にも体力を奪われ、結果を残すことが出来なかった。
彼はこの経験から何を学び、どのようにして世界一になったのか。
さあ・・・富士通セミコンダクター株式会社所属チェアスキーヤー森井大輝選手の登場です!
「支えてくれる人が原動力」
ソルトレイクシティパラリンピック後自分に足りなかったのは雪上以外でのトレーニングだと気付き、夏場の筋力トレーニングに力を注ぎました。
ある時、あきる野市の体育館職員の方が声をかけてくださり市の職員の方4、5名でウェイトトレーニングや栄養管理に至るまで僕のトレーニングを見てくれることになりました。皆さん、本業の終わった夜7時から週5日僕の練習に付き合ってくれました。僕は人に恵まれ、支えられていると、いつも感謝しています。
応援も期待も素直に受け止めて、成績で返そうと心がけています。
バンクーバーパラリンピックで得意種目である大回転でのメダルを逃しました。自分が悔しいのはもちろんですが、「君なら良い成績を出せる」と言って下さっていた松井前監督に申し訳なくて、それまでの安定を重視した滑りから速さを追求した攻める滑りに変える決意をしました。
速さを追求してフォーム、ポジション、チェアスキーの設定、コースのラインの取り方などすべてを変えました。
そして、練習を重ね今回の総合優勝という結果にたどり着くことが出来ました。世界一になるには、努力を継続すること。そしてチャレンジし続けること。
世界で戦う選手はもちろん皆努力していますが、良い成績を残すとチャレンジは難しくなります。「成功した形」を守りたくなるからです。でも僕は変化を恐れず、常に新しいものを取り入れる為に柔軟な考えと広い視野を持つようにしています。
それは、道具にもテクニックにも言える事です。良いと思う滑りがあれば、たとえそれが後輩でも同じ動きを出来るように練習します。
今の目標は、来年のワールドカップで一つでも多くメダルを取ること。自分がチェアスキーを始めようと思った時のように、自分の競技する姿や結果を見て同じ境遇の人が少しでも元気に、笑顔になってもらえるようにこれからも競技を続けていきます。