本日のスゴい人!はアジア人で初めてアメリカの3大ネットワークの一つABCのゴールデンタイムで放映される番組『I Survived A Japanese Game Show』の司会者に大抜擢された。あまりの人気の高さに世界142カ国に放送され、TV界のカンヌとも言われる、ローズドール賞で、最高賞を受賞した!その才能には、一大レストランチェーンを成功させ、アメリカンドリームを掴んだ故ロッキー青木氏が「神田ロムは日本のホープだ」と認めた程。さあ、世界に日本のサムライスピリットを広げるブロードエンターテイナー神田瀧夢様の登場です!
「サムライスピリット」
エンターテイメントの本場アメリカでパフォーマンスをしたいと思い1999年秋にニューヨークに旅立ちました。現地でエージェンシーのリストが掲載されている本を買い片っ端から履歴書を送ったが、返信はゼロ。『電話お断り』のオフィスにも突撃訪問を繰り返したけど、全て門前払い。
新人というと殆どが10代、20代半ばまで。30歳を過ぎていた自分は年齢的にも圧倒的に不利でした。まして白人メインの社会の中で、日本人など相手にされるわけがない。
しかしそのときの自分には「あきらめる」という選択肢はなくひたすら門を叩き続け、161件目にようやく話を聞いてもらえました。決めたことを成し遂げるためには、命がけでやりぬきます。
ある時、主役を務める予定だったニューヨーク公演の舞台が突然中止。
この時、もう少しで取得できるはずだったグリーンカードも取れなくなる事態が起きました。
ダブルパンチでさすがに落ち込みましたが、「壁の大きさは、人の器の大きさに応じて立ちはだかる。だから、人間には乗り越えられない壁は無い!」
という師匠の言葉を思い出し“士の心”という嘆願書を書いて、大企業の社長や政治家に会い、
グリーンカード取得のために必要な、署名を集めました。
その結果たくさんの方々の支援のおかげで、無事取得することができました。
大きな転機は2008年に訪れた。『I Survived A Japanese Game Show』のオーディションを通過して、司会に抜擢されました。夢の扉が開いた瞬間でした。
やっと掴んだ1つのチャンス。そのチャンスを掴むまで25年の年月がかかりました。しかし、
仕事のプレッシャーがあまりにもハードで鬱病になってしまった。食欲が無く、神経が高ぶって夜も眠れない。人生の終わりを感じましたが、『日本を背負って世界と向き合っている』という
気概があったので、2日に1回点滴を打ちながら撮影を続けました。人生で初めて味わった
“のたうちまわるほど”の苦しい体験を通して、僕は人の苦しみがどういうものかが実感として
わかるようになりました。日本が本来持つ恩義と忠義の心。それに礼節を重んじる文化。
この精神が世界中に広まったら、世界はもっともっと良くなるはず。そのためにも、映画をプロデュースすることも視野に入れています。
世界中に日本の文化を発信するブロードエンターテイナーとして活動を続けていきます!