男は語る。“50年くらいなら毎日違うものが作れる程のレシピが私の頭の中に入っている。”
そう語る男は、帝国ホテルの京料理店の元総料理長。
当時の年収は、現在の価値に直したら3千万円以上。
それから30年、未だに料理人として腕をふるい、未だに著名人やVIPのお客様がこの男の料理を求め暖簾をくぐる。
厳しい料理界において常にトップに君臨する苦悩とは?どうやって、上り詰めたのか?
さあ・・・神村亮様の登場です!
「料理人としての生き方」
私が料理の修行に飛び込んだのは17歳の時。
板場というのは昔から、ヤクザ社会と言われるほど先輩の言うことは絶対。
親方の言うことは「白」でも「黒」になるという、縦社会の厳しい世界。
散々いじめられました、というより、今振り返れば鍛えていただいていたのですね。
「料理の腕で見返すんだ」
その一身で、がむしゃらに人の3倍は、料理の修業に打ち込みました。
15時間働き、皆が寝たあとも3時間、睡眠時間を削ってその日の献立の復習を重ねました。
レシピなんてありませんから、鍋の底に残った汁を舐めて、同じ味を出すために試行錯誤しました。
修行をして10年がたった時に、親方から東京の帝国ホテルの京料理店の料理長をするようにと命じられました。
28歳。もちろん最年少です。最初の給料がなんと100万円。たまげました。
今までもらっていた給料は、月2500円だったので、直ぐに親方に電話をして、「この給料は1年分ですか?」
と確認してしまいました。そういう世界なんです。
それからというもの取材や、コンサルティングなど次々と依頼が入り30歳の頃には年収で3000万円を超えていました。
料理の世界で成功するには、人の何倍も努力しなくてはなりません。
技術の裏づけがあり美味しい料理を提供すること。そもそも自分にその才能があるのかどうかを見極めることも重要ですね。才能が無ければ、どんなに努力したって成功しませんから。
自分の才能に見合った世界で頑張っていくのがいいと思います。
身の丈に合わないような無理をしても続きません。超一流の世界だけが全てでは無いと思います。
どんな世界でも同じではないでしょうか。まだまだ勉強です。
そう思って、これからも料理の道を極めていきます。