“私が社長です。”
派手な帽子をかぶった、女性の派手なCM。お馴染みの元谷芙美子社長。
そして所有するホテル20,000室を誇り、これまでに建設・運用・管理するビル、マンション等は400棟
を超える。
今、全国で二十五か所の事業を束ね掌握するのが、夫である元谷外志雄、アパグループ代表だ。
アパグループの成功は、彼が世界69カ国にも及ぶ遊学と経験から培った戦略と、わが国日本をもっと良くしたいという強い思いのうえにある。
さあ・・・アパグループ代表 元谷外志雄様の登場です。
「学び続け、挑戦し続ける。」
高校を卒業後、慶大経済学部通信課程に入学すると共に、小さな信用金庫に就職。
数年勤めた後、注文住宅の会社を立ち上げた。
そして33歳の時、今のアパグループの基礎となるマンション事業に取り組み、北陸最大のデベロッパーと成った時、ホテル事業を大々的にやろうと決意、その後、妻である元谷芙美子をCMのキャラクターに起用して日経新聞に広告を出した。当時、社長が全面的に出た広告は業界どころか、どの会社も試みていなかった。お馴染み“私が社長です。”の登場である。
ホテル業は男性よりも女性のほうが向いていると思ったし、なによりも、妻を社長にすれば信頼もできるという理由。思った以上の反響だった。
しかし、その反響は・・・“あのCMはひどい!”“公共の電波に出す映像じゃない!”なかには、“あんなおばちゃんよりも私をキャラクターに起用して!”といった苦情や非難の声がほうぼうから聞こえてきた。「よし、うまくいった」そう思った。
結果的にアパホテルの知名度は、一気に全国に広まった。
私はアメリカのユダヤの友人から学んだ不動産投資法を活用し、皆が買うバブル期に一気に売り、大々的に稼いだ利益で一転、バブルが崩壊したデフレの極み期に次々と土地を購入。ホテルやマンションを建て続けた。その後大都市の地価が再び上昇をはじめた、ファンドバブル。
その時起こったのが耐震偽装報道だ。
建築確認の許可を受けゼネコンに発注して建てたホテルに耐震強度不足があってもアパは御客さまで、なんの責任も無い、それにも関わらず非難の報道の繰り返しで全ての銀行が融資を回収して来た。
しかしこの事がチャンスと成り、またファンドバブルの高値のタイミングで資産を売却し莫大な利益を得た。
結果的に、二度のチャンスでアパは飛躍し今、東京都心に12個所のホテルと7個所のマンションを同時に着工する、「アパの頂上戦略」の発動である。
結局、すべては学ぶ姿勢と情報収集力。向学心をもって学び続けたからこそ勇気ある決断を重ねることができたし、幾度もの重要な勝負の際に最善手を打つことができたのだ。
良い道が開け、出会いにも恵まれてきた。
ひとつひとつの出会いに感謝をして私は、これからも学び続ける。日本のために!!