皆さんは、今まで行ったレストランで記憶から消せないレストランってありますか?
そして、何が良くて記憶に残ってますか?味?雰囲気?
ほとんどの方は、"サービス"じゃないでしょうか?
今日は、そのサービスにおいて"接客の神様"とまで呼ばれる男の登場です。
全国、数万店あるレストランにおいて接客の神様。
さあ、新川義弘様の登場です!
「やり続ける事の大切さ」
私は食堂の息子として生まれました。
客から罵倒される両親を見たり、家族団欒の所に土足でミカジメ料を取立てに来る光景を見て育ったので
飲食という職業が嫌いで嫌いで仕方なかったのです。でも、“レストランの人”には憧れを抱きました。
それは、月に一度家族で出かけた洋食屋さんのタキシードをきてサービスする人。その“立居振舞”今でも忘れられません・・
“両親の商売とは違うものを”そんな思いや憧れを抱き20歳で“ハレヤカ“であろう東京の飲食業界に飛び込んだのです。でも現実の世界はまったく違いました。
ハレヤカの“裏”にある尋常ではない職人の技術、努力。
こんなにも飲食の世界は深く厳しいのか・・・そんな現実を見ながら常に憧れのひとを見つけては“ベンチマーク”して自己の目標を設定してやってきました。そのことは、いま回想してもつい昨日の事のように,思いかえせます。最近は「〇〇歳で独立するんだ!」と目標設定だけして、何の準備も無く立ててしまったという小さなエゴやプライドにしがみついてる若者が多いと感じます。
目標設定を否定するわけではありません。目標を手に入れる迄の準備が充分でない人が多いと感じるのです。
例えば、山を登る時は必ず1合目から足で登ります。もちろん転び落ちる事もあります。そんな時は必要な装備をしてまた登り始めるものです。自分も何度も大きなガケから落ち、その度に必要なことを学んで行きました。その結果、人の痛みが分かる人間になるのだと思います。
1歩1歩登るのが大切な事なのに目標達成だけしか見ておらず、簡単に登る方法としてヘリコプターを使おうとしていませんか?自分は22年間1つの会社で勉強してきました。
最初は1合目のアルバイトからスタートして最終的にNo.2である9合目まで足で登りました。
その間に手に入れた経験則や失敗の数々は今では大切な財産です。会社法人だから出来る大きなプロジェクトも沢山経験させて頂きました。そして、42歳で独立させて頂きましたが独立が遅かったとは全く思いません。それは、“充分な経験を積めた”からでもないし、“焦った”からでもありません。
他ならぬ、“心身一体”のタイミングだったからではないでしょうか?
「このチャンスを逃したら2度と来ないかも・・・」と、常日頃から、日常の出会いや人脈創りに勤しみ“何か意味もなく焦ってる人”を見ると、その出会い、“心身一体ですか?”と説いてあげたくなることが増えました。
これ以上は、“老害”と言われないように慎みますが、老婆心ながら最後に一言御忠告申し上げます。
“頂の頂上は孤独です”そして因果なことに“成功して続ければ”それはずっと続くのです。
永遠に・・ちょっと“一晩充分考えてから”でも遅くないんじゃないですか?・・・