世界と日本における水問題の解決に取り組むスゴい人!

川遊び、アマチュア無線、場内アナウンスが人生を変えた

走りながら学び、考えた会社員時代

「○○しない者は去れ!」国連勤務初日に言われた言葉とは

本日登場するスゴい人は、世界と日本が抱えるさまざまな水問題について情報を発信し、人材育成から企業・自治体へのコンサルティング、さらには国の政策決定にも関わっている水問題の専門家。ニューヨークの国連本部に環境審議官として赴任し、現在も国内外を駆けめぐる忙しい日々を送っている。
普段の生活やさまざまな産業で欠かすことができない、まさに私たちの命に直結している水の問題。そんな重要な問題に取り組むことになったきっかけは、そして世界や日本で縦横無尽に活躍できる秘訣はなんなのか?

さあ…
グローバルウォーター・ジャパン代表
吉村和就様の登場です!

美しく豊かな水との出会い

私が生まれ育った秋田市の実家の裏には、「旭川(あさひかわ)」という川が流れていました。この旭川の水は太平山の雪解け水と湧き水からなる透明度も高く、水量も豊かなもので、秋田市の水道の水源としても使われていました。その取水場所の少し下流に実家があり、小学生から中学生、特に小学生の頃はその川で遊ぶのが私の日課だったのです。
旭川の水はとてもきれいだったので、日本海からサケやマスがたくさん遡ってきました。また川のあちこちには砂州とよばれる砂浜があり、そこにある流木や石の下にカニ、小魚、ナマズなどがたくさんいたのです。私は毎日そんな砂州で遊んだり、川の魚を獲ったりしていました。
ところが高校生くらいになると旭川の上流に住宅地や工場ができ、水質汚染がひどくなりました。そして「川に入って遊んではいけない」「良い子は川で遊ばない!」ということになってしまったのです。これは日本の経済が発展し、秋田市の人口も急激に増えて汚水が川に垂れ流された為でした。ですから私の「水にかける想い」は、小学生のときに遊んだあのきれいな旭川の水環境を取り戻したい、という気持ちが原点なのです。

思いがけない未来につながったアマチュア無線

また、私は小学生のころからアマチュア無線が趣味でした。実家の松の木をアマチュア無線用のさまざまなアンテナだらけにし、それを使って全世界2万局くらいの無線局と交信していたのです。
アマチュア無線とは送受信機を使って海外の人と会話するものであり、おかげで中学校で英語を習う前に英会話が身につきました。同時にアメリカ英語やイギリス英語だけでなく、東南アジアをはじめとする世界各国のさまざまな「英語」に触れることになりました。日本人の英語も「ジャパングリッシュ」と言われますが、どこの国の人が話す英語もその国独特のクセがあります。実はこの経験が国連や現在の世界各地での仕事に非常に役立ちました。
というのも、英語を母国語とする人や英米の正統な英語を学んだ人は崩れた英語を嫌い、そんな英語を話す人の意見を無視してしまいがちです。一方、私はそのような英語に慣れていたので、しっかり最後まで相手の話を聞きました。すると「ヨシムラは話のわかる奴だ」と評判になり、さまざまな国の人たちと信頼関係を築くことができたのです。

大勢の前でプレゼンテーションができるようになった意外なきっかけ

小学生くらいまでの私はとても無口で母親にも心配されるほどでした。しかし中学校の運動会のときにたまたま放送席の近くにいたら、放送部の先生に場内アナウンスを頼まれたのです。そこで原稿を読み上げたところ、「君の声はよく通るじゃないか!」と褒められ、これで勉強しなさいとNHKのアナウンサー読本を渡されました。
そして天気予報やニュースの例文を読み上げる練習を続けたところ、高校時代にはNHK主催の全国高校放送コンクールで文部大臣賞を受賞したのです。この経験とアマチュア無線のふたつが、人前で話したり説得力のある伝え方をする訓練となり、のちの国連や現在の仕事にとても役立ちました。

あらゆる業種の水処理を経験させてもらった

日本では1970(昭和45)年に水質汚濁防止法という法律ができたことにより、排水を処理する施設の設置が義務付けられました。しかし私が1972(昭和47)年に水処理エンジニアリング会社の荏原インフィルコに入社したころは、まだまだ排水を処理するためのノウハウがあまり国内になかったのです。ですから私は英文の技術情報を読んで対応していました。入社してから10年くらいは営業をしながら自分で概略の施設設計をし、さらに現場での試運転もやり、常時4〜5件のプロジェクトを抱えるという状況でした。本当に走りながら勉強し、仕事に対応していましたね。さらに水質汚染や公害、危険物取扱いに関する国家資格を取るため、地方出張の移動時間で勉強もしていました。
私が担当した水処理施設のプロジェクトは、たとえば水産加工場、化学工場、紙・パルプ工場、製鉄所、下水処理場、半導体製造工場といったように非常に多岐にわたりました。
おかげでだいたいどんな業種の水処理でも見当がつくようになり、これは国連に環境審議官として赴任した際の大きな強みになりました。たとえば途上国に多い染料工場の排水処理の問題も、国内の繊維メーカーのプロジェクトで経験済みだったのでよくわかる、といった具合です。仕事をしていたときは無我夢中でしたが、実力をつけるには絶好の機会でしたね。

国連での経験が教えてくれたこと

国連では印象深い出来事があります。赴任初日に出席した会議で、私はまずは様子をみようとずっと発言せずに黙っていました。すると会議が終わって上司に呼び出され、「なにも発言しないならば明日から会議に出る必要はない。去れ!」と厳しく叱られたのです。
その上司は「会議というものは参加者が発言してはじめて成り立つ」と言いました。日本の会議は上位の人の話を聞くだけの「伝達会議」が多いですが、国際的には会議は「お互いの意見をぶつけ合い、方針を定める」ためのものなのです。この認識は国連以降、さまざまな国際会議に参加する上で非常に役立ちましたね。

これからの夢。そして夢に向かって頑張る若い人たちに伝えたいこと

私の夢は世界と日本の水環境を良くしたい、というものです。そのために国連や国際会議、技術展示会など、さまざまな機会に日本の水に関する優れた技術をPRしてきました。また水問題に取り組む若い人材を育てることも私のライフワークであり、「志水塾」という勉強会をはじめ、いろいろな場所をお借りして取り組んでいます。
とは言え、最初から今のグローバルウォーター・ジャパン代表としての活動を目標にしてきたわけではありません。子どもの頃に夢中になった川遊びやアマチュア無線、さらに場内アナウンス。そして水処理エンジニアリング会社では与えられた仕事に自分なりの工夫をして取り組み、さらに国連に派遣されたことで世界的な視野を得ることができました。そんな風に夢中になって取り組んできたことが、あとになって役に立ったのです。「人生に無駄なものはひとつもない」、とつくづく思いますね。
未来を生きる若い人に伝えたいのは、何かに夢中になって取り組み、最低8000時間または3年間は「のめり込む体験」をして欲しいということです。スマートフォンを使って簡単に手に入るような情報は実際の役には立ちません。しかし自分自身が体感して身につけた知識や経験は、世界中どこに行っても通用します。電子情報が増えれば増えるほど、それに頼らず現場で人に会い、生の体験をすることが大切になることを忘れないでください。

取材を終えて

実際の吉村様のインタビューでは、面白いエピソードがこの記事ではご紹介しきれないほどたくさん出てきました。また水分野はもちろんのこと、それ以外の分野について伺っても「数字・固有名詞・歴史」をスラスラと挙げられるため、本当に説得力がありました。そんな吉村様のお話はテレビやラジオ、書籍や講演会などで直接触れることができますから、ぜひグローバルウォーター・ジャパン公式サイトで調べてみてください。

プロフィール

吉村和就(よしむら・かずなり)
グローバルウォーター・ジャパン代表
1948(昭和23)年生まれ。日本を代表する水環境問題の専門家の一人。水処理プラントを手がける大手エンジニアリング会社にて営業・開発・市場調査・経営企画に携わり、国連ニューヨーク本部に環境審議官として赴任。発展途上国の水インフラ整備の指導を行う。書籍の執筆や国内外の業界紙・専門誌等への寄稿を行いつつ、NHK・TBS・フジテレビ・テレビ東京の番組に出演し、水問題をわかりやすく解説している。このほか日本政府の要請を受け「水の安全保障戦略機構・技術普及委員長」、「水ビジネス国際展開研究会委員」などを務める。また水問題に関わる若手の人材教育にも力を入れている。

◆グローバルウォーター・ジャパン http://gwaterjapan.com/

著書
◆『水ビジネス 110兆円水市場の攻防』(角川書店)
◆『日本人が知らない巨大市場 水ビジネスに挑む』(技術評論社)
◆『水ビジネスの新潮流』『続・水ビジネスの新潮流』(環境新聞社)
◆『水に流せない水の話』(角川書店)
◆『最新 水ビジネスの動向とカラクリがよくわかる本』(秀和システム)
◆『水道サービスが止まらないために』(時事通信社・共著)
◆『水の処理・活用大辞典』(産業調査会出版センター・共著)

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