レパートリー300種以上!ものまねタレントの代名詞と呼ばれるスゴい人!

かつて、数多くのスターを輩出したコンテスト番組『お笑いスター誕生!!』
本日は同番組出身で、今や「ものまねタレントの代名詞」と呼ばれるスゴい人が登場する!
1980年、番組出演をきっかけにお笑いタレントとして活動を開始。
その後『ものまね王座決定戦』出演から人気に火がつき、ものまねタレントの代表格となった。
現在、レパートリーは実に300種を超え、ゴールデンアロー賞をはじめ各種の賞を受賞するなど、その存在は確固たるものになった。
常に芸を磨き続けるスゴい人の想いとは?

さあ…
ものまねタレント
コロッケ様の登場です!

「相手が一番、自分は二番」

どちらかと言えば、控えめな、目立たない子どもだったと思います。
あまり友達づきあいが得意でなく、いつも遠巻きに見ているような感じでした。
当時はむしろ姉のほうが元気がよく、僕はきっとクラスのみんなにも覚えられていないくらいだったんじゃないでしょうか。
その姉が、中学生の頃ダンスやものまねで人気者になっていたのに影響されて、自分でもやりはじめました。
人気者になりたいというより、モテたかったからなんですがね。

高校生の頃、一度地元のスナックに出演して面白がられて味をしめ、その後もショーパブなどで出演を続け、卒業する頃にはすでに熊本の夜の世界では知らない人がいないくらいになっていました。
その後、先輩を頼って上京し、紹介されたのが、『お笑いスター誕生!!』のオーディションでした。
同期の出演者には「とんねるず」などがいて、お互いに独学の芸人同士、交流もありました。
その後『ものまね王座決定戦』に出演して、ものまねタレントと呼ばれるようになりました。
当時は漫才ブーム、お笑いブームを経てものまねブームが来ていた頃だったので、時代の流れにも助けられたのかもしれませんね。

長年にわたってものまねを続けてこられたのはどうしてかな、と考えると、やはり「人に喜んでもらいたいから」という動機が一番です。
僕は基本的にミーハーな人間なので、その時代ごとに「面白い」と言われている人には等しく興味を持ちますし、その人のどういうところが面白いのか、惹きつけられるのか、それを研究するところから始めています。
その上で、さらにアレンジを加え、一種の付加価値をつけた状態で世に出します。
相手に敬意を払う精神があって初めて成立する芸ですね。
「この人のこういうところが面白いと思った」と感じた体験がまずあって、その良さをよりわかってもらえるような形にして伝えることをいつも考えています。
何よりも、まねされた方にまず喜んでもらいたいですし、それを通じて僕らも多くのものを得られます。
常に「相手が一番」と思いながらやっています。

ものまねが文化であり、エンターテイメントであるという見方もだいぶ広まりました。
その根を絶やさず、次の世代に伝えていくことが、いま僕がすべきことだと感じています。

◆自身のプロデュースによるエンターテイメントレストラン
『CROKET MIMIC TOKYO』
http://www.mimictokyo.com/

◆株式会社ファインステージ 公式プロフィール
http://fine-stage.net/talent/croket/

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