【細野 不二彦】小学館漫画賞を受賞し30年以上にわたり活躍し続けるスゴい漫画家!

細野 不二彦

アニメ化もされた人気漫画『ギャラリーフェイク』をいまだご記憶の方も多いであろう。
本日登場のスゴい人は、その作者である。
1982年の『さすがの猿飛』をはじめ、『どっきりドクター』『GU-GUガンモ』『ギャラリーフェイク』など少年誌から青年誌まで、多種多様な作風・画風をこなし、現在に至るまで30数年の長きにわたり、幅広く作品を発表し続けている。
『さすがの猿飛』『GU-GUガンモ』『ギャラリーフェイク』はテレビアニメ化もされた。
1995年には『ギャラリーフェイク』『太郎』で第41回小学館漫画賞を受賞した。

その創作力、長きにわたり活動を続けられる秘訣についてお伺いしてみよう。

さあ…
漫画家
細野不二彦様の登場です!

「転んでもタダで起きない」

下町の、ごく普通の少年だった。絵が好きだったこと以外はね。
もちろん、漫画もその当時から興味があったし、「少年マガジン」「少年サンデー」のような人気の漫画雑誌も一通り目を通して、それを真似て自分で描いてもいた。描くこと自体が楽しかったんだね。
本格的に漫画を描くようになったのは中学生になってから。
短い、10~20ページぐらいのものを試作のように描き始めていた。
当初はギャグ作品がほとんどだったけれど、やがて永井豪先生の影響でSFにも手を広げて、徐々に作風を模索していった。
そんな僕に転機が訪れたのが大学生の頃。
当時『宇宙戦艦ヤマト』のメカデザインをおこなっていた「スタジオぬえ」という会社を友人から紹介されたのがきっかけだった。
これからは漫画家もいたほうがいい、という会社の方針で僕もお世話になるようになり、ここで漫画家のキャリアをスタートさせた。
この頃に描いた作品のひとつが『さすがの猿飛』で、これがアニメ化されたときは嬉しかったね。
新人の頃の、一から手探りで描いた作品ということもあり、今でも一番楽しんで作れたと思っているよ。

90年代に入って、青年誌で『太郎』という作品を描いていた頃に体を壊してしまって。
締め切りや、アシスタントを多数使うことなどによる精神的ストレスから来る、自律神経失調症と言われたんだったかな。
仕事自体を辛いと思ったことはそれほどなかったけれど、それからはあまり無理をしないように心がけているね。

漫画家に限らず、作家業を長く続けているとアイデアが出てこなくて苦しむことがある、なんてよく言うけれど、僕の場合そういうことはないね。
「これがだめなら、次はこうしよう」と常に思っているし、その姿勢でいればどんなところからでもアイデアは得られるものだから。
そのアイデアだって、自分が面白いと思ったもの、興味を引かれたことから生まれるものであって、つまりは好奇心こそが全ての原点なんだよね。
どんなことでも面白がって首を突っ込むような、感度の高さあってこその作家だとも思うし。
自分に嘘をつかず、面白いと思ったことに正直でいたからこそ、今までずっとやってこられたんじゃないのかな。
たとえその過程で少しくらいしくじったとしても、それでさえネタに変えてしまえたりするんだよ。
「転んでも、タダでは起きない」くらいのつもりで、ね。

◆5月30日発売の「ビッグコミックスピリッツ」27号に『ギャラリーフェイク』特別編が掲載
http://spi-net.jp/magazine.html

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