【小堀 孝司】日本で唯一のボタンニストのスゴい人!

小堀 孝司

洋服の顔になるボタン。
ボタンを取り替えることによって全く洋服の雰囲気が変わる。
同じワイシャツでも糸を変えたりボタンの種類を変えたりすることで自分の個性を主張できる。
今日は戦後から69年続くボタン屋さんの3代目が登場する。
祖父母が始めたボタン屋さんはどのような時代を経て今日まで続いてきたのだろう?
そして、彼はこれから何を創ってゆくのだろうか?
さあ・・・ミタケボタン ボタンニスト 小堀孝司様の登場です!

「良いものを伝える」

祖母は呉服屋の娘。
商いは生地屋さん。
戦争中は熱海に疎開し、戦後東京に戻ったのですが、生地は統制があり思うように売れず、米軍兵にアメリカのボタンを横流ししてもらってボタン屋さんを始めたそうです。
祖父は海外に目を向けアメリカにボタンの買い付けに行きました。
私達のボタン屋は8~9割はインポートもの。
仕入れ先はアメリカから次第にヨーロッパへと変わっていきました。
私は大学を卒業後、アメリカへ2年留学。
コンピューター会社で2年働いた後に家業のボタン屋で小売の現場に入りました。
当時は年商15億ぐらいの会社規模になっていたのですが、神戸の震災を境に会社が雪崩の様に崩れだしたのです。
どんな対応策を打っても効き目がなく社内もボロボロ。
激闘は5年ほど続きました。
立て直しのため、卸しと小売の二手に分かれ、私は小売の担当になりました。
「もう一度 スタート地点に戻ろう!」
自分はボタン屋で、アパレルも小売の商流も知っている。
染色も出来るし、何よりお客様の気持ちが分かる。
業界を見回してもこの総合力を備えている人がいなかったので、“ボタンニスト”としてボタンに関することの総合力で戦うことにしたのです。
近年では、長く大切に使う洋服が減ってきています。
流行りに煽られ使い捨ての様なアパレル業界。
女性はカジュアルからエレガントになって欲しいです。
バッグの中に小さな裁縫道具を忍ばせて、ボタン付けぐらいさらっと出来る様になって欲しいですね。
先日、僕のノウハウと大手ボタン工場の技術力を掛け合わせてコラボ商品を作りました。
150年前のテイストを、金属職人さんやコイン彫刻などの彫刻屋さんというスペシャルな職人さんを集めて形にしました。
後世の人がこのボタンを見て、この時代の日本人が作っていたことに感動してほしいと思っています。
最近、糸屋さん、針屋さん、縫製工場さんなどが僕と同じようにアパレル業界を捉えていることに、改めて気づきました。
お互い情報交換をすることで新しい発見や貴重な情報が手に入ります。
フィレンツェに住んでいるジュエリー職人さんが「ベネチアの倉庫にボタンがザクザクあったよ」と教えてくれて、宝の山に出会えたりするのです。
インターネットの普及で一瞬にして沢山の情報が手に入る時代になりましたが、最後は人と人との信頼関係と想いが形になっていくのだと思います。

◆ミタケボタン
http://www.button-web.com/
※一部携帯では見られない可能性があります。

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