【童門 冬二】都庁ブレーンから作家へと転身し、数々のヒット作品を生み出し続けているスゴい人!

童門 冬二

かつて都庁に勤め、目黒区役所係員から、東京都立大学理学部事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長を歴任した後、1979年に退職。
在職中には第43回芥川賞候補に選出された事もあったが、作家活動に専念したのは、退職後の51歳のときの事だった。
以来36年、毎月1冊という怒涛のペースで執筆を続け、『上杉鷹山』『石田三成』など数々のヒット作品を生み出してきた。
著書には、歴史小説や歴史を題材にした組織論などが多くあるが、彼が歴史小説に目覚めたのは小学生の頃、学校で教わった歴史がきっかけだった。
86歳の現在もなお、日々執筆をこなすスゴい人の人生観とは?
さあ・・・作家 童門冬二様の登場です!

「起承転々」

歴史小説に興味を持ったのは小学校5年生のときの担任教師の影響でした。
先生の話す歴史は「神様も一生活者である」という解釈で、歴史や神話の中で神様が行ったことをその時代の人々の生活背景を踏まえて説明して下さいました。
私の歴史観は、その先生によって作られました。
もともと詩や純文学が好きで、戦後は計画停電で夜8時を過ぎると家の電気が消えるのですが、駅だけは電車が動いている間は電気がついていましたので、夜になると駅へ行って文芸誌を読んでいました。
子どもの頃から文章を書くのも好きで、作文ではいつも金賞をもらっていましたね。
区役所に勤めている間に『暗い川が手を叩く』という作品で芥川賞候補に選ばれたのですが、そこで作家としての自分に限界を感じていました。
しかしその後、芥川賞候補に選ばれた事がきっかけで職員報の編集を任されるようになりました。
昇進試験にも合格して課長となり、段々と責任ある仕事を任せていただけるようになりましたので、長らく都庁の仕事に力を注いでいました。
51歳の時、美濃部都知事の退任と同時に退職し、退職前からテレビへの出演依頼や執筆の依頼などを頂いていましたので、作家活動に専念する事としました。
それから36年、休む暇も無く書き続けていますが、書きたい事はいつも頭の中にたくさんあるので書くことに困る事はありません。
私の人生は、西部劇によく出てくる荒野を転がる植物“タンブル・ウィード”のようなもので、常にあてどなく転がり続けています。
人生で安定した日など一日もないと思います。
かつて、人生が50年の時代に人々は20代から50代までを起・承・転・結と言っていましたが、現在は平均寿命も80歳を超えましたので、いつからか私は人生を「起承転々」であると思うようになりました。
「もはや人間の一生に結などない、あるのは転だけだ」
こういう覚悟を胸に据えて、死の日までついに未達、未遂のままの起承転々の人生。
それがわが定め、多くの人の運命であるというのが私の持論となりました。
私の人生の目標は、今いる場所で手抜きをせず、全力を尽くして生命を燃やし続ける事。
太宰治の『正義と微笑』にも「かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった!」という言葉がありますが、“死ぬまで人を喜ばせること”が私にとって永遠の目的であり、毎日の目的でもあるのです。

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