【三國 清三】仏フランソワ・ラブレー大学美食学名誉博士の称号を持つ日本人洋食料理家のスゴい人!

三國 清三

15歳で料理人を志し、北の迎賓館と呼ばれる札幌グランドホテルで修業。
その後、推薦の手紙一通だけを持って上京し、帝国ホテルで修業を続けた。
20歳の頃、帝国ホテル村上料理長の推薦によりスイスの日本大使館料理長に就任。
その後、ヨーロッパの三ツ星レストランで修業を重ね、28歳で帰国。
30歳の頃、東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープン。
海外での修業経験を活かし、当時日本ではまだ珍しかった“オーナーシェフ”として、店の経営から料理まですべての事を行った。
料理人を目指したきっかけは、住み込みで働いていた家で食べた“ハンバーグ”だった。
さあ・・・株式会社ソシエテミクニ 代表取締役オテル・ドゥ・ミクニ オーナーシェフ 三國清三様の登場です!

「ハンバーグをつくりたい」

父は漁業、母は農業をしている半農半漁の家に生まれました。
ほとんどの人が高校へ進学する時代でしたが、貧乏で進学は出来ません。
どうしても学校に通いたくて、学校の先生と相談し、米屋に住み込みで働きながら手に職をつけられる夜間の調理師学校に1年半通いました。
ある日の夕飯で黒いソースのかかったハンバーグを生まれて初めて見て驚きました。
母からは「黒い物は毒」と言われて育ったからです。
不景気だから「口減らしの為に毒を盛られたんだ」と思いましたが、あまりに空腹だったので食べてみました。
初めて食べる“甘酸っぱい”ソースと溢れる肉汁が美味しくて、この時に「僕はハンバーグを作る料理人になろう」と決意をしました。
それから札幌グランドホテルでの修業を経て、料理の神様がいると言われる帝国ホテルへ。
自分が働きたいと思った場所ならば従業員食堂でも皿洗いでも精一杯働き、札幌ではその結果18歳で料理長補佐になりました。
ですが、帝国ホテルに入ってから2年間、毎日鍋洗いだけの日々。
20歳になった時にいくら頑張っても無理なものは無理なのだという事を知り、挫折を味わい、もうやれるだけの事をやって辞めようと考えていました。
そこで、ホテル内に18あるレストランの全ての鍋を洗わせて下さいと志願し、数ヶ月間1人で洗い物を続けていると、村上料理長からスイスの日本大使館料理長への推薦を頂いたのです。
それから3年8ヶ月大使館の料理長を務め、ヨーロッパの三ツ星レストランで修業して5人の料理の神様に出会い、28歳で帰国。
30歳で独立して自分の店を持ちました。
独立してからこれまで、バブルの崩壊、リーマンショック、東日本大震災など、「もう終わりだ」と思ったことも何度もありました。
だけど、どんな時も、潰れる覚悟を決めた上で「やれるだけの事をやろう」と動いていました。
バブル崩壊時は、他の店が規模を縮小する中、わざと店の規模を2倍に広げたところ、お客様もマスコミも応援して下さり大盛況となりました。
震災の時は、当日中に店を開ける準備をして開店し、翌日から、ペアで来店されたお客様は1名分の料金で2名分の料理をお出しし、更にその半額を被災地へ寄付するという活動を実施。
多くのお客様が応援して下さり、おかげさまで1年間連日満席となり、過去最高利益を出す事ができました。
2000年から全国の小学校で食育活動として五味を伝えています。
生涯この活動を続ける事が出来れば本望です。

◆ソシエテミクニ
http://www.oui-mikuni.co.jp/
※一部携帯では見られない可能性があります。

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