【小達 敏昭】大物ルーキーとしてデビューを飾り国内ゴルフツアーで2度の優勝を手にしたスゴい人!

小達 敏昭

小学校の頃に両親の影響でゴルフを始めた。
ゴルフの才能に恵まれた本日登場のスゴい人!は、週に1、2回しかしない練習で中学時代には全日本ジュニアを制し、高校では関東ジュニアのチャンピオンになり、大学時代は日刊杯関東学生大会優勝、日刊アマ全国大会優勝、マルマンオープンベストアマに選ばれるなど、輝かしい成績を残した。
大学卒業後、大物ルーキーとして世間やメディアから注目が集まる中、プロテストを受験したが受からず、初めての挫折を味わった。
彼は、その挫折をどのようにして乗り越えたのか?
さあ・・・小達敏昭銀座ゴルフクリニック チーフインストラクター 小達敏昭様の登場です!

「大物ルーキーと呼ばれて」

中学、高校、大学と練習をほとんどしなくても試合で勝つことができたので、プロテストも簡単に受かるだろうと思っていました。
ところが、落ちてしまったのです。
プライドはズタズタで、生まれて初めて挫折を味わいました。
その時、「半年後のプロテストで絶対に1位で受かってやる」と決めたのです。
翌日から毎朝5時30分に練習場に行き、毎日欠かすことなく練習しました。
今までで一番練習していましたね。
次のプロテストでは結局3位で通過。
1位じゃなかったので正直悔しかったです。
プロ入り2年目でヨネックスオープン優勝。
この頃は練習もあまりしていませんでしたし、私には早すぎた優勝だったんですね。
ゴルフのトーナメントでも注目のルーキーということで、海外からの招待選手であったグレッグノーマンや中嶋常幸さんと一緒に回らせてもらいました。
週刊誌に『人気の丸山茂樹、実力の小達敏昭』なんて書かれて世間からも注目も集まるようになって・・・
だんだんと自分の得意としていた飛距離重視のプレーではなく、もっとキレイなスイングをしなければいけないと思うようになってしまったのです。
忘れもしないフジサンケイクラシックの首位でむかえた17番のショートホール。
そこで7打も打ってしまったのです。
次のホールもダブルボギーで結果は3位。
この瞬間に、自分の中で何かが崩れてしまったのです。
パターを打っても永遠にカップに入らないんじゃないかと考えてしまう。
ここぞという勝負所になると体が動かない。
夜は眠ることができず、不整脈も出ていました。
「同じ組で回っている他のプロが俺がミスすると思っているんだろうな」と被害妄想のように考えてしまうことが、何よりも辛かったです。
何度も辞めようと考えたのですが、持ちこたえることができたのは、家族の支えがあったからです。
スランプに苦しみ出して7年目に、アメリカで最新理論を学んでいたティーチングプロの内藤雄士プロに「今までのものを全て捨てるから、一から教えてくれ。」
とお願いして、スイング改造をすることにしたのです。
そうしたら徐々にショットが良くなり、2001年のJCBクラシック仙台で優勝することができました。
その後はドラコンの選手として試合に出たり、2004年からはゴルフのレッスン教室も始めました。
これからは、ティーチングプロとして最先端の理論を生徒に伝えながら、50歳になったらシニアのツアーで活躍したいです。
世間を騒がせるオールドルーキーになりたいですね。

◆小達敏昭銀座ゴルフクリニック
http://www.odate-pro.jp/
※一部携帯では見られない可能性があります。

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