40年間で全国の13万社の社長に経営指導を行ってきたスゴい人!

本日登場のスゴい人は、現在のようなセミナーブームが起きる前の昭和40年に日本経営合理化協会を設立し、日本の経営者が学び合うための組織をスタートした。
毎年、春と夏の年2回開催される経営者のための大規模なセミナー、勉強会には、全国から700名近い中小企業の経営者が集う。
自身でも複数の会社を経営し実践を通したコンサルタントとして、40年間で、延べ約13万社にあたる全国の社長に経営指導を行った。
日本の中小企業を活性化させ日本をもっと良い国にするために、日夜活動を続けている。
さあ・・・日本経営合理化協会 理事長 牟田學様の登場です!

「強く必要とされる存在になる」

私が小学1年生の時に日本は終戦。
父は中国大陸で行方不明となり、母の手ひとつで育てて頂きました。
生活は非常に苦しかったのですが中学、高校の先生に恵まれて、奨学金制度を教えて頂き奨学金で大学に進みました。
最初の商売は小学生の頃。
廃れてしまったお宮があり、そこは昔お祭りの時に繁盛したくじ引きがあったと聞き、仲間を集めそのくじ引きを復活させた事でした。
コヨリでくじを作り、ハズレはそら豆をゆでたもの。
当たりくじは蕎麦やほうきや自転車などを用意しました。
クジを引くお客さんが次から次へとやって来たので、一晩で何万円も売上が上がりました。
売上は山分けです。
この時に、商売の楽しさを体で覚えました。
幼い頃から絵を書くのが好きでしたので、大学生の時には友人のデザイナーの下請けをして、初任給が1万3千円の時代に多い月では月収100万円、少ない月でも20万円稼ぎ、学生時代に家も建てました。
就職すると収入が減るのでそのまま印刷会社や出版会社を設立し、起業家になりました。
24歳で今の日本経営合理化協会を法人化し、44歳で20代の頃から考え続けていた書籍『社長業』を出版しました。
父がいなかったので、父親代わりに「人生とは何か」を教えてくれたのは、護国寺のお御堂さんで定期講話されていた中村天風さんでした。
天風哲学を一言で言うと、「人生は思い通りにしかならない。出来ないと思えば出来ない。出来ると思えば出来る」でした。
実務の中で失敗を繰り返し続け、哲学を会得するのです。
知識だけでは全く役立ちません。
努力が半分と運が半分。
運良く生きるには、笑ったり、歌ったり明るく前向きに生きることが大切です。
貧乏するのも、僅かなものでも喜べるようになるので良いものです。
そういう気持ちがないと良い経営者にはなれない。
そして、金持ちの経験もまた然り。
母からは沢山の愛情を頂きました。
今でも母が書いてくれた300通ほどの巻紙の手紙を大切に保管しています。
親父が早く亡くなってしまったのは寂しかったですが、早く自立せざるを得ない状況が私を成長させてくれたので、運が良かったのかもしれません。
私はこれからも命が尽きる迄、若い人に私が培ってきたノウハウを伝え続けて行きます。
国際社会になったいま、みんなで力を合わせ、日本をもっと良い国にして行きましょう。

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