【中村 健一】日本最大のリサイクル着物ショップ“たんす屋”を立ち上げたスゴい人!

中村 健一

着物業界は、ピーク時には2兆円産業と言われた。
それが今では3千億円へと規模が縮小。
バブルが崩壊し、右肩下がりのマイナス成長を続ける業界の中にありながら、
発想を転換し、新しい市場を開拓し続け、時流にあった事業モデルを作り上げたスゴい人がいる。
たんすに埋もれた膨大な着物や帯を最大限に活用し、環境に優しい“循環型社会”への布石を投じた。
さあ・・・東京山喜株式会社 代表取締役社長 中村健一様の登場です!

「業界の当たり前からの脱出」

大学時代スキーで腰椎を骨折してしまい、1年休学しました。
順調に回復してすぐに退院できたので、休学を活用して鋼入りのコルセットを巻きながらもアメリカへ留学。
その間にアメリカの銀行の試験を受けてみたら内定を頂きましたが、後遺症で足が痺れ8時間勤務ができないため、断念。
仕方なく日本に戻り、大学を卒業して父の会社に入社しました。
15時までしか体がもたないので、同期の短大卒業生の7掛けぐらいの給料で経理の仕事をしました。
社内で最低の賃金でのスタートです。
3年経ち、体は良くなったものの、沢山の反物を持つ営業はできません。
新規営業なら軽いサンプルだけで出来ると思い、飛び込み営業で新しいお客様を生みました。
その後、商品部課長に昇格し、3年間数字を伸ばし続けました。
そんな時、社内で京都支店を閉める話が持ち上がり、私は京都支店の立て直し役に立候補しました。
京都支店長着任後、支店の最大取引先との取引をやめました。
その理由は、社員の尊厳を守るためでした。
その後新規開拓をして、東京に戻るまでの4年間で売上を約5倍増させました。
着任後の新規客だけで売上の95%を占めるようになっていました。
バブル崩壊後、東京に戻ってまず着手したのは、先代からの超主力なお客様との取引を停止すること。
海外不動産投資で危ないと情報が入ったのです。
大口の取引先を失い、売り上げは25億から21億に転落し赤字に。
父も弱気になったのか、私に社長交代。
問屋では持たないと思い、中国に製造工場を作りメーカー業を始め、4年間で37億の売り上げに伸ばしました。
行けると思ったものの、海外は全て現金送金。
問屋は手形支払い。大手問屋の信用不信が続き、次第にキャッシュフローが悪化してきました。
ここで大きくハンドルを切りました。
問屋もメーカーもやめて、やったことは無いが小売一本にしようと。
駅ビルを歩いていたら、偶然、閉店店舗がありました。
その場で飛び込み、出店交渉をすると、次のテナントが決まっているので1ヶ月の期限付きで許可を頂き、古着の着物を並べました。
1週間で手応えを感じられ、全てこの業態に変更する事を決めました。
ビル側も予想を超えた売上に驚き、そのまま2ヶ月目以降も継続。
最初の1年間で27店舗をスピード出店しました。
とにかく昔から変化を好む性格です。
着物業界では商品回転が悪すぎるのでFCは成立しないのですが、私は半分着物業界、半分リユース業界の人間なので、これから着物業界をFCという仕組みで大変革させて行きます。
日本の各家庭には、40兆円分の日本の宝が眠っているのですから。

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