【竹原 慎二】日本人初のボクシングミドル級世界王者になったスゴい人!

竹原 慎二

16歳でボクシングを始め、19歳で日本チャンピオン、23歳で世界チャンピオンのベルトを手中に収めた。
その後、テレビ番組「ガチンコ・ファイトクラブ」に出演し、高視聴率を記録し続けた。
世界王者になるためには、努力や技術はもちろんだが、『ある要素』がなければ決してなることができないという。世界王者なるために、必要不可欠な要素とは?
さあ・・・ボクシング元WBA世界ミドル級王、竹原慎二様の登場です!

「努力と運」
16歳の頃は高校にも行かず、喧嘩をしたり、中途半端なことばっかりやっていた。
親父が元ボクサーで東京に行ってボクシングをやってこいと言われたけど、なかなか決心がつかなかった。
反社会勢力の人にボコボコにしばかれて、悔しくて仕返ししてやろうと思ったけど、そんなことばっかりしている自分がなんだか情けなくてなって、東京に出ることを決心した。
ボクシングジムに仕事場を紹介してもらい、早朝から働いて、夕方からトレーニング。でも全く“本気”になっていないただ夢だけを見て何もやらない糞ガキだった。日本チャンピオンになるまではそれほど努力をした覚えはなかったけど、とにかく勢いがあった。
18歳で全日本新人王、19歳で日本チャンピオン、21歳で東洋チャンピオンと順調に勝ち進める中で、それまでの人生で誰からも認められたことの無かった自分が、応援されたるようになって来た。これが大きなモチベーションになったんだ。
世界に挑戦する前は相当な練習をした。でも、その練習もすぐに当然のことのようになり、キツさは麻痺していった。戦歴は25戦やって18KOだったけど、この時の練習量を最初からしていれば全てKO勝利も夢じゃなかったと思う。
試合前になると、いつも怖かった。負けたら手のひらを返したように周りの人が冷たくなるんじゃないか?というプレッシャーに押しつぶされそうだった。そのプレッシャーに打ち勝つためにも、練習にひたすら打ち込んだ。
世界チャンピオンというのは、才能、努力、運が揃わないとなれない。運は努力した人に回ってくるもの。
才能も努力をしないと花開かない。イチローなんてドラフト5位だったけど、200本安打を10年も続けた素晴らしい選手になった。誰でもイチローの10倍、20倍の努力をすれば、彼を超えられる可能性はある。
重量級は負けたらチャンスの無い世界。1回負けたらチャンスは回ってこない。1度のチャンスに命を懸けて、「1回負けるまでがんばろう。負けたら辞めよう」と覚悟を決めて練習に励んでいたんだ。結局最後まで負けなかったから世界チャンピオンになれたし、1回負けたから引退した。
畑山隆則と一緒にボクシングジムをやりだして10年が経ち、日本ボクシングコミッションに加盟をして3年目。女子の世界王者も生まれた。これからジムの場所をリニューアルして選手の育成に力を入れていくよ。

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