【高木 三四郎】日本No.1のプロレスプロモーターのスゴい人!

高木 三四郎

インディーズプロレス団体DDTプロレスリング。
今年、プロレス団体で唯一日本武道館で大会を開き、格闘技不況と言われるこの時代に1万人以上の観客を集めた。
本日のスゴい人は、その団体の経営者であり、レスラーであり、プロモーターである。
この団体は15年前に3人で立ち上がり、観客数は200人だった。
お金も無い、知名度も無い、ツテも無い。そんな中知恵を絞る事で団体を成長させていった。その結果、日本一のプロレスプロモーターと呼ばれるようになった。
そのサクセスストーリーの裏側をお話しいただきましょう。
さあ・・・株式会社DDTプロレスリング代表取締役、高木三四郎様の登場です!

「継続的な成長を」
大学生の時に憧れであったプロレスを始めました。楽しかったものの、お金は儲からなくて大変でした。
そんな中、97年に所属していた団体が潰れました。その時、「あーやっと辞められる」と思ったのですが、一緒にやっていた二人のレスラーがあきらめられないから一緒にやろう!!と話を持ちかけてきたんです。
正直「やめてくれよ」と思いましたが、これがDDTの立ち上げのきっかけです。
DDTを立ち上げてから苦労しかしてないですね(笑)プロレスのメディアに取り上げてもらえなかったので、はじめは知名度がなかなか上がりませんでした。
それならば、一般のメディアに取り上げてもらおうとクラブでプロレスをしたところ、「女子高生が見るプロレス」として話題になりました。
はじめの2年間は経営が困難で、プロレスから自分の給料を得られませんでした。でも、好きだったのであきらめずに続けました。
団体立ち上げから2年後、一旦は経営を他の方に任せて、僕は別の仕事をしながらプロレスラーをしていました。
下の選手も育ってきて、また、結婚も考えた2004年に「社長を自分でやった方が良い」と決断し、社長に戻りました。
しかし、社長になってからがまた大変。常に綱渡りでした。
個人の貯金が50万円しかなかったので、ワンルームマンションを事務所として借りましたが、借りた段階で貯金が尽きました。
「さてどうしよう?」と思い、まず年間パスを発売したのです。その時の売上を、初期の運転資金にして運営していました。
2008年度の決算でマイナスが出ました。「何かやらないといけない」と思い2009年度に両国国技館で大会を開き、それを1年だけでなく2011年まで続けました。
格闘技不況のこの時代に両国国技館大会をやり遂げたのは大きかったと思います。それからは、周りの見る目も変わりましたね。
そして、今年開催した武道館大会に1万人以上の方にご来場頂き、成功を収める事が出来ました。
DDTは今まで色々な人に助けて頂きながらここまで来ましたね。
僕はプロレスは世の中に勇気と活力を与えると思っています。
人は終わりの見えているものを応援しない。感情移入させるためには成長させ続ける必要があります。
プロレスを人気スポーツにしてDDTを国内で認知度No.1にする。それが僕の夢ですね。

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