【赤松 林太郎】世界中のピアノコンクールでタイトルをとり続けるスゴい人!

赤松 林太郎
今日登場のスゴい人!にとってピアノは食事と同じで完全に生活の一部だった。
ピアノに触れたのは生後8ヶ月、人前で演奏したのは2歳の時。4歳の時にはテレビで特集が組まれ、数々の国内外コンクールで優勝や上位入賞をしている。洗濯機もテレビも無いという決して裕福な家庭ではないけれど、母親は彼にピアノを弾かせたかった。一軒家のリビングにはアップライトピアノと彼が常にいた。世界で認められるために、彼がしたこととは?
さぁ・・・世界が認めた闘うピアニスト赤松林太郎様の登場です!

「捨てきる先にある宝物」
子供の頃から真剣にピアノをやっていましたが、日本のシンドラーと言われる杉原千畝(すぎはらちうね)氏に憧れ夢は外交官。プロになる気はありませんでした。小学6年生で全日本学生音楽コンクールで1位になった時も「外交官になります」と言うものだから芸大の先生からは白い目で見られました。
中・高・大も音楽に関係の無い普通の学校へ進んだので音楽業界からいい顔はされませんでした(笑)
外交官になるにしても音楽での節目が欲しかったので、大学四年生の時にドイツの国際コンクールを試しに受けたら日本人初の上位入賞。テレビや新聞の取材が組まれたり、CDが発売されました。契約書を書き賞金が小切手で渡され世界各地でのコンサートが決まりました。

しかし、世界レベルを目の当たりにして極東の島国だけで活動してきた甘さを痛感し大学を卒業してから本格的に勉強をしました。 ドイツで1年半活動しましたが成長に限界を感じ、4ヶ月間ヨーロッパ文化を学ぶ為に放浪しました。

"マダム・リスト"と呼ばれるフランス・クリダがパリに居ると聞き「あなたの弟子にして下さい」とFAXを送って頼み込み、弟子にしてもらいました。それからの2年間マダムからは「全く駄目」だけの完全否定。心が折れる余裕も無い程、ずたずたでした。

『どうしたら良くなるか?』を考えも無理だったので、『どうしたら駄目になれるか?』と逆に考え
 その駄目になる方法を全て排除していきました。無意識に駄目になっていたのでその方が早く自分の駄目な部分を改善できました。無意識のものを全て意識化すると頭がパニックを起こします。

けれどこのパニックが大切で、パニックになっている時に頭と体の使い方を全て入れ替えるのです。
その方が結果が出せます。もがき苦しんだ後、受けたコンクールは全て通過することができました。
この闘い方をヨーロッパでの演奏活動を続ける中で学んでいき、どうやったら勝てるか、常に考えて演奏するようになりました。

これからも自分の演奏に妥協することなく、

ピアノを弾き続けます。

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