
ドラマ『教師びんびん物語』で一躍脚光を浴び、80年代を代表する若手スターとなった俳優・野村宏伸さん。一見華やかな舞台で輝く野村さんの人生は、急な病や家族の苦難、そして人間関係による挫折など、数々の試練の連続でした。それでも「役者として生きる」と覚悟を決め、すべてをリセットして再出発を果たした彼。60歳を迎えた今だからこそ語れる、デビューから現在に至るまでの波乱万丈の人生と新しく始めた飲食店経営について伺いました。
行動は言葉より雄弁
本日の見どころ
▶華やかなスター街道の裏にあった病と挫折の物語
▶“無欲の勝利”でつかんだ角川映画オーディションの栄光
▶角川春樹監督との真剣勝負が俳優人生の礎に
DAY2は明日配信
小学校から目立つ存在で、美意識高めな少年だった!
東京都板橋区に生まれました。幼少期は祖父母、両親と一つ下の妹と6人家族で暮らしていました。祖父が起こした化学工場を父が二代目として経営していたので比較的裕福な家庭でしたね。私立の淑徳幼稚園へ送迎してもらって通学していて、いわゆる御坊ちゃまと呼ばれていて。好き嫌いも多くて、魚は骨があるから嫌い、野菜も嫌いだから食べない。だい好きなカレーでも人参はたべませんでした。を幼いころは何不自由なく過ごしていました。小学校は近所に友達も多かったので地元の区立小へ通いたいと親に頼んでね。小学校時代は、勉強はそこそこ。

母と
とにかく落ち着きがなくて、デパートなんかに家族で買い物に行って迷子になって呼び出されるなんてこともよくあって、目を離すとすぐどこかへ行ってしまうとよく親に心配をかけていました。運動はその頃から得意で、特に足が速くて目立っていましたね。運動会では常にリレーの選手に選ばれていました。野球を始めたのも小学生の時です。いわゆるガキ大将タイプだったと思います。この頃から目立つのが好きだったし、女の子に人気があるという自覚はありましたね(笑)。
運動好きで快活だった性格は一変、内向的で控えめな少年へ
しかし、中学1年の時に突然、急性ウイルス肝炎を発症したんです。本当に突発的に、なんかすごい疲れるな。だるいなという始まりだったのは覚えています。帰宅したらすぐ横になるくらい。たまたま4月なんで、学校の健康診断で尿検査があって。母があまりにも僕のおしっこが真っ黒でびっくりして、母の兄が医者だったのですぐに病院に行きました。肝臓の数値が異常だということで即入院となりました。
そこから三カ月もの入院生活となりました。要は一学期まるまるお休みしたんです。区立の中学校というのは近所のいろんな小学校から生徒が集まります。4月の入学式からクラスメイトと新しい人間関係を構築しますよね。この三カ月の不在というのは友人や新しい人間関係の構築という意味では12歳にとってはかなり大きな空白でした。ようやく退院して2学期から登校したんですが、体を動かせないからやっぱりねちょっと太ってるんですよ。肝臓からくる「むくみ」もありましたしね。その時に小学校から僕を知ってる女子生徒に「あ。野村だ。なんか太ってる」と言われたのは傷つきましたねー。美意識が高い12歳でしたから(笑)。1年間は結局運動もできないんですよ。まだまだ安静第一だから。小学校の時に活発で快活だった性格はこの3カ月で大きく変わりました。自分の命や健康というものを意識せざるを得ない状況でしたから、嫌いだった野菜も一生懸命に食べました。しじみが肝臓に良いと聞くと母がシジミ汁を作ってくれてね。それを必死に飲んでましたね。ようやく運動ができるようになったのが2年生になる時。そこでサッカー部に入りました。運動はできる方だったのですぐにレギュラーメンバーになりました。病気をして命や人生といったものを考える境地を一度経験しているからか、物事を客観視するような性格が強くなりましたね。サッカー部だからといってじゃあプロサッカー選手になる!みたいな夢はもたなくて、父の会社を継ぐのもなんだかなぁなんて現実的に物事を見つめているような中学生でした。
「彼女をつくる!」ために都立共学高校へ
高校への進路を選ぶときに私立男子校か都立共学校かという選択があって、高校は絶対彼女をつくるぞ!って決めていたので迷わず共学都立へ行きました(笑)。中学2年から運動ができるようになって、点滴とかもしなくなってどんどんスリムになってね。小学校の時みたいにモテて来てたんですよ(笑)。でもなかなか女の子にはシャイで積極的には振舞えなくてね。高校では絶対彼女をつくるぞ!っと(笑)。高校では先に告白してくれた彼女をずっと一途に付き合っていました。一回うまくいかなくて別れたんですが、僕なりに考えなおして今度は僕から再告白して。あまりに僕がシャイで奥手だったのでつまらないといわれたので、再告白からは積極的に引っ張っていくような付き合い方に関係が変わってうまくいきましたね。
父親の工場が倒産、一家離散へ
そんな青春の日々のある日、学校から自宅に帰ると親父とお袋が揃って自宅にいてね。謝るんですよ。ごめんな。って。この家にはもう住めなくなったから出ていかなないといけない。身の回りの物をまとめろと。本当に必要なものだけをちょっと持ち出して。いわゆる夜逃げですよ。僕は都内の父方の叔母の家へ、妹は練馬に住む母方の伯母の家へ。祖母は大阪の妹の家で別々に暮らすこととなりました。両親は一時期身を隠して。まさに一家離散です。妹は離れたくないと泣いていましたが、僕は長男としてしっかりしないといけないなとなんとなくですけど自覚しましたね。12歳で病気して、15歳で一家離散という、普通の人ならあまり経験しないようなことを立て続けに経験して、「男の子」から「大人の男」へ変わらないといけないなという意識が芽生えました。まさにこのタイミングでさっきの彼女に再告白したんですよ。こんな大変な時に何やってるんだという気もしますけども(笑)、あの時の僕の中では「大人の男」に変わる瞬間。変わらざるを得ないと覚悟を決めた瞬間だったのかもしれませんね。今考えると。蛹が羽化して蝶になるような。
自然体で臨んだ角川映画のオーディションでみごと優勝
そんな時、妹が雑誌で見つけた「角川映画『メイン・テーマ』のオーディション」に応募を勧めてくれました。優勝賞金500万円、推薦者100万円 という金額に惹かれ、半信半疑で挑戦しました。何しろ家計が火の車でしたからね。一家離散からしばらくして家族で暮らせるようになっていましたが、親父はタクシーの運転手をやってなんとか家族を支えてくれている生活でした。父の会社も自宅もなくなった。気持ち的には将来への希望なんて持てなかったし、全然覇気のない応募者でした(笑)。23,000人の応募者といっても中には、大手プロダクションがその時にイチオシの若手俳優とかが申し込んでるわけですよ。覇気しかないし、合格するぞ!というエネルギー高めの人ばっかりですよ。そんな中で、「賞金もらえたらいいな」くらいの気持ちで演技経験ゼロの僕が優勝した。勝因は?とかよく聞かれますが、まさに「無欲の勝利」かなと。僕のオーディションの時の態度はこんな感じですから(笑)。背中曲がって頭下がってて、覇気とかないのよ。「あー、はい。」みたいな。僕以外はエネルギー高めなのに。

オーディションの時の態度を再現!
好きなアイドルは?と聞かれて「松田聖子さん」とか答えちゃって。空気読むならそこは薬師丸ひろ子さんですよね(笑)。そんな無茶苦茶な面接でした。でもね森田監督がね、「印象に残った」という評価をくださってね。まあ、目立ちますよね、俳優人生をかけているギラギラした集団の中で一人だけ「お金欲しい」っていう違う価値観でそこにいたら。高校生でしたけど、なぜか父が免許だけは取らせてくれていたのでオーディション時に車の免許を持っていたんですよ。それも運が良かったですね。車の運転がある役柄だったので。右も左もわからない中、優勝が決まって嵐のように周囲が変化していきました。
波乱の青春時代を経て俳優としての道を歩き始める
そうそう。優勝賞金はね、困窮している両親にプレゼントしました。とか美しくていいんですけどね、違うんですよ。新車のプレリュードを買いました(笑)。圧倒的な人気だった流線形プレリュード。嵐のような目まぐるしい環境の変化に、僕もだんだん染まっていきました。時代はバブル絶頂の時。18歳の僕に突然訪れた芸能界デビューでした。紹介者の妹はもらった賞金100万円を大学の入学資金に充ててね。兄とは違って立派な人です(笑)

愛車のプレリュードと
1984年に公開された『メイン・テーマ』は大ヒットして、第8回日本アカデミー賞新人俳優賞をいただきました。大型新人と言われましたが僕自身はやっぱり冷静でしたね。ここにきても俳優で生きていく!という覚悟はしていませんでした。そこでこっそり大学受験をしてみたり。結果は全敗で、どうしようかなと考えていたところに角川春樹監督の指名で映画「キャバレー」(1986年) の主役が決まりました。これは角川春樹事務所創立10周年記念作品ですからさすがにもう言い訳してる場合じゃない、と覚悟を決めました。一旦覚悟を決めた人間にはね周りの人も真剣勝負をしてくるんですよ。メインテーマの時とは全然違うの。ビシバシ。演技経験も技量も無い僕を主役と決めた以上、角川だって責任と覚悟があるわけですから当たり前です。キャバレーの撮影の際には角川監督にもうこれでもかこれでもかと叱られました。ご飯も喉を通らないくらい精神的に追い込まれました。あれ以上に辛い撮影は無かったですし、今日までやってこれたのはあの時の頑張りがあるからだと思っています。
◆イベント情報◆
●ライブ:2025年10月18日 場所/川越西文化会館(メルト)
音楽祭「生きてこそ命」
●主演舞台:『クリスマス・キャロル』
2025年12月3日〜12月7日三鷹RI劇場にて上演!
🎟 申し込みはこちらから👇
『クリスマス・キャロル』
https://www.seigetsu-entertainment.com/cc2025/
●朗読劇:2025年12月14日 特攻隊の手紙 場所/浅草 大乗院
野村宏伸氏 プロフィール
東京都板橋区生まれ。
1965年5月3日
1983年、角川映画『メイン・テーマ』でデビュー(薬師丸ひろ子さんの相手役に抜擢)
主な代表作
映画:『メイン・テーマ』(1984年)・『キャバレー』(1986年)ほか
ドラマ:フジテレビ系『教師びんびん物語』シリーズ(1988、1989)・TBS日曜劇場『とんび』(2013年)
舞台:『レ・ミゼラブル』(ジャベール役)(2022年)など
最近の活動
俳優業に加え、35年前にリリースしたアルバムを再び披露する音楽ライブを開催するなど、多彩な表
現活動を展開。2025年には還暦を迎え、舞台出演やライブ、地域イベントなど、ジャンルを越えた挑
戦を続けながら高田馬場「ひさご」にて居酒屋経営にも挑戦している。