
日本一と評されるガトーショコラがある。ひとかけらでも口にすれば、ほとんどの人はうなり、その称号に納得するであろう。そんな日本最高峰のガトーショコラを生み出し、それ一本で年商3億円を生み出したケンズカフェ東京のオーナーシェフ氏家健治氏。今でこそ成功者として知られるが、ここに至るまでには明日をも知れぬ苦難を味わった。そこからどのようにして今があるのか。語られた軌跡には、飲食業のみならずあらゆるビジネスパーソンにとって示唆に富む内容だった。
一点突破
動画
DAY2
グルメに魅せられた少年時代
―今やガトーショコラの第一人者である氏家さんですが、やはり子供のころから料理や菓子を作るのが好きだったのでしょうか?
いえ、特に料理をするのが好きということもなく、ごくごく普通の子供でした。中学のときはバドミントン部に所属していましたが、特別熱中するということもなかったですね。プラモデルやラジコンにも興味を持ちましたが、ひたすらそれに集中するなんてこともなかったです。本当に普通の子供ですよ。でも、料理に関しては思い出があります。中学2年生の時でした。学校の先生が、デリーというインド料理店に連れて行ってくれたんです。
―えっ?中学2年生で、デリーのカレーですか?(デリーと言えば、当時珍しいくらいのスパイスと辛さを尖らせたインドカレーのお店で、多くの有名店のシェフに多大なる影響を与えている。)あまりに普段と違うカレーだから嫌いになったりしませんでしたか?
そうなんです。そのデリーのカレーが衝撃的でした。今まで食べていた家庭のカレーとは全く違う、辛くて独特の香りのするカレーでした。「こんな食べ物があるのか」と驚きましたね。でも、嫌いになったりはしませんでした。今でも定期的にカシミールカレーを食べに行きますよ。あの独特の味、記憶に残る味、もう一度食べたくなる味というのは、「美味しい、美味しくない」を超えた体験でした。それは今でも私の味づくりの指標になっていますね。
―なるほど、では食に興味を持たれたのは、中学から高校生になったころですか。
そうですね、高校生になると、時間も自由がとれるようになるし、自分の小遣いでいろんな店に行くようになりました。喫茶店にいって美味しいコーヒーを探したり、シフォンケーキのあのふわっふわに感動したり。恰好いいからとカクテルにも興味があって勉強したりしていました。でも当時は作る方ではなくて食べる方に夢中になってましたね。当時はミシュラン日本版はなかったですが、山本益博さんの本を参考にしたり、ポパイやホットドッグプレスなどの雑誌を見て情報を集めていました。雑誌を見て気になったお店に行ったりしました。もちろん全部は行けません。高校生なので1000円、2000円くらいのレベルでしたが、行ってみていろいろ感じるものがありました。グルメの志向性はその頃から始まりましたね。時代がバブルに向かっている頃でしたから、海外からいいものが入ってきたり、素晴らしいものがあったじゃないですか。そういうものに触れる機会が多くありました。たまたま親が建築の仕事をしていて忙しく、相手をしてくれない代わりにお小遣いをくれて。そのお金をほとんどグルメに使ってましたね。たまに1万円もするような食事をしに行くこともありました。
本物を追求する
―そこまでお金をかけてグルメにのめり込む高校生は珍しいですね。
あの時代だからこそ、いろんな素敵なものに接するチャンスに恵まれた気がします。(価格が)高いけど、その分本当にいいものがあるんだ、ということを知ることができました。その頃には、「いいものとは何なのか」「本物とはどんなものなのか」を追求するようになりました。お中元やお歳暮などでいただくものがあるじゃないですか。5000円くらいするものなのに、僕からするとあんまり美味しく感じないんです。有名なお菓子でも。やっぱり、贈答で使うような、日持ちがするものよりも、フレッシュなもの、作りたてのもののほうが美味しいよな、と思っていました。生意気ですが、高校生の時から、朝炊いたご飯は夕飯では食べない子供でした。
大学時代も、そのまま本物を探し求めてグルメに走っていました。友人と二人で一晩に13万円使ったこともあります。トゥールダルジャンをはじめ、三ツ星級の店にも通いました。体験するとやっぱり違うわけです。最高級と呼ばれるものはどんなものなのかをいつも求めてましたね。やっぱり金額が高いお店には理由がある。当時フランス料理にはさすがだと思わされました。また料理以外でも、車だとか洋服だとか靴だとか。いろんなジャンルに対して、本物って何なんだろうと興味津々でした。おかげで、いいものを見る目が養われた気がします。
―その本物を追求する気質が、その後の仕事に繋がっているわけですね?そのような志向を活かした仕事をしようとは考えなかったのですか?
いや、仕事としてはまったく興味がなかったですね。むしろこのまま仕事なんかしたくない、できれば就職なんかしたくなかったです。大学では写真を学んだりしましたが、カメラなんか重くて担ぎたくないし(笑)。まあ、でも周りも就職していきますし、やっぱり「食」の分野かなってことで、ホテルオークラ、それから神戸屋キッチンにも行ってパンの製造なんかも経験を積みました。兄が経営している手打ち蕎麦屋にも行きました。だから蕎麦も打てますよ。
29歳で自分の店を持つが・・・
―様々な料理を一流の店で経験したのち、独立を果たしたわけですね。
はい、29歳の時に店を出しました。ケンズカフェというくらいですから、カフェレストランですね。パスタランチを中心に味にも自信がありましたし、コーヒーも「堀口珈琲」から仕入れたスペシャルティコーヒーを出していました。だから、お昼はそこそこ人気を集めたんです。お客さんも結構来てくれて。
―順調な滑り出し、うまくいったんですね。
いえ、そうはうまくいきませんでした。夜このあたりは閑散としてしまいます。ランチは千円くらいで出しているので、いくらお客さんが来てくれても儲けにはなりません。でもこだわって出していましたから、良いものを出し続ければ続けるほど赤字になってしまうんです。3年目からはだいぶ苦しくなってきました。毎日続けるのがつらくなって、もう明日潰れてもおかしくない、という切羽詰まった状況になってしまったんです・・・。
閉店寸前まで追い込まれた、ケンズカフェ。氏家氏はどのようにして立て直したのか。そのきっかけはある行列店だった。
2Dayに続く
ライター:中俣 拓哉(なかまたたくや)
氏家健治氏プロフィール
東京都出身。ケンズカフェ東京 オーナーシェフ。https://kenscafe.jp/
ホテルオークラ東京、赤坂アークヒルズクラブ、レストランマエストロなどの高級飲食店で調理・製菓・製パンを修得。
1998年、新宿御苑前でイタリアンレストラン「ケンズカフェ」を開店
出版監修実績多数
『1つ3000円のガトーショコラが飛ぶように売れるワケ』(SBクリエイティブ, 2014)
『余計なことはやめなさい! ガトーショコラだけで年商3億円を実現するシェフのスゴイやり方』(集英社, 2018)
絵本『ぐるぐるガトーショコラ』(ケンエレブックス, 2023)、教育格差への問題意識から発案し、全国の図書館や幼稚園へ寄贈
2015年〜、ファミリーマートのスイーツ監修およびエクアドル産カカオ使用チョコ「エクアドル・スペシャル」の開発