珈琲で人と社会を幸せにするスゴい人! ▶友成勇樹様 DAY2

コーヒー好きなら誰でも一度は利用したことがあるだろう、カフェ・ベローチェ、珈琲館、カフェ・ド・クリエなどのカフェチェーン。本日のスゴい人は全国に約570店舗を展開しているC-United株式会社の代表、友成勇樹氏。珈琲文化の創造と発展を通して人を幸せにすること。その経営理念の言葉通りに、煙草を吸う人も吸わない人も心地よく共存できるTHE SMOKIST COFFEEを展開し、新たに、障がいのある方々が個性を活かし働ける焙煎所の開設を試行錯誤の上、実現した。人への愛にあふれた友成社長の行動は、実は波乱万丈の人生にありました。

チームワークとスピード  

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紙ナプキンからスタートしたジョイントベンチャー(合併会社)

それから新宿のマクドナルド本社へ帰国しました。すでに創業者の藤田さんは会長に退いておられましたね。ちょうどその頃マクドナルド社が上場をしたんです。それで新しく事業開発本部が創設されて、M&Aをやることになりました。

米国本社が資本参加していた「プレタ・マンジェ」というイギリス発祥のサンドイッチチェーン店を日本でも展開する事になりました。それがね、当時の会長の藤田さんと向こうの社長が寿司を食べた時に意気投合しちゃって、マクドナルドの紙ナプキンにアグリーメントを書いてサインしちゃっていたんですよ。1年目に何店舗、3年目に何店舗、10年後・・・とか、具体的な事業展開を。そのナプキン一枚だけがエビデンス。びっくりでしょ。法務部の役員から、その紙ナプキンで契約成立しちゃったから、あとはロンドンと細かい契約書をまとめてこいって言われてね。これは大変なことになったと、ロンドンで死にそうになりながら4カ月くらいで契約書をまとめたのは今でも思い出深いですね。

2002年9月にプレタ・マンジェの第一号店がオープンすることになったんですが、その正式な契約書への調印となった時に、ロンドン側から条件が書き加えられていたんです。それが、僕が社長になること。青天の霹靂でしたね。僕はマクドナルド社が大好きで、マクドナルド社に残りたいからMBA取ったわけです。会長から直々に命じられて、2週間もらって考えさせてもらいました。普通なら会長に言われたら二つ返事で承諾するものですが、僕はそれくらいマクドナルドが好きだったんですよ。考え抜いた末に、マクドナルドの新しい橋が作れるならと思って、その話をお受けして、プレタ社へ出向することにしました。

プレタ・マンジェのサンドイッチは合成添加物を一切使用していないのが特徴でした。今でこそオーガニックやナチュラルを表に出したお店がたくさんありますが、当時はまだ珍しくてね。第一号店のオープンの記念パーティは、イギリス大使の主催で、なんと大使公邸で開かれました。僕もスピーチでお披露目させていただきました。もう後には引けなくなったその時に、またロンドンからYUKIは出向じゃなくて、プレタへ転籍しなさいと言われたんです。「スペイン人が領土を広げるときには、乗ってきた船を燃やすんだ。これが成功の秘訣だ」と言われてね。39歳の時でした。自分の意志とは裏腹ではあったけれど、これもマクドナルドのためだと転籍して事業を拡大しようと心を決めて、退職しました。年収は倍くらいになりましたが、気持ちは複雑でしたね。

プレタ・マンジェ イギリス大使館でのレセプションでスピーチ

プレタ・マンジェ 国内一号店レセプション

企業論理に翻弄され、自らの道を選ぶ

ところがそれから1年半くらいたった時に、米国マクドナルド本社から、本業以外の投資やM&Aからは全面撤退するようにという通達が出たんです。僕のほかにも60名くらい出向者がいたんですが、その頃は日本マクドナルド本体は、リストラを実行していた時期だったので、彼らは会社へ戻ることができませんでした。本社からはポジションを用意してもらえる話もありましたが、彼らを見放して僕だけ会社に戻るなんて人としてできません。僕もこの際に退社することにしました。その時のメンバーは今でも一緒に働いている人もいます。

その後、飲食業のナチュラルビートという会社を立ち上げました。ロッテホールディングスが50%出資してくれて、添加物を使用しないというプレタのポリシーを受けついだサンドイッチ店でした。この会社はその後ローソンさんが資本参加してくれたりもしたのですが、僕の資本戦略もうまくなくて最終的に僕の持ち分が16.3%になってしまって。結局ロッテさんにお譲りする形で僕は2008年に退任しました。45歳で僕は何もすることが無くなったんです。そんな折にモスバーガーの新規事業部を手伝ってほしいという声をかけていただきました。僕はマクドナルド社への配慮もありますから、ハンバーガー以外のことでしたらやりますと話して、レストラン事業の代表取締役をお引き受けすることになりました。この時に2社のレストラン事業を合併させて、株式会社モスダイニングを設立しました。その後モスフードサービスの取締役として新規事業を担当しました。

C-United株式会社設立、珈琲文化の創造と発展を通して人の幸せを創造する試みを

2018年に珈琲館のブランドをUCCさんから買い取るという案件がありましてね。会社ではなく、ブランドをカーブアウト(単体事業売却)でという条件でした。計画を相談されているうちに僕がやりたいなと思って、打診をさせていただいたら快く了承してくださって。7月に社長に正式に就任しました。就任当時は珈琲館以外のブランドも含めて全国に240店舗ありました。全員のオーナーさんにお話をして、ブランド統一をするために、残る方には残ってもらったり、ご自身のお名前でカフェをやる方はそのまま続けてもらったり。丁寧なお話を心掛けましたね。

弊社の経営理念でもある「珈琲文化の創造と発展を通して人を幸せにすること。」、ここにこだわり続けてすべての事業を進めています。文明開化とともに日本に珈琲が広まり始めてまだ180年ほどです。お茶の歴史は1000年以上。日本における珈琲文化はまだまだこれから。それでも今お茶と同じくらい、いやそれ以上に日本人は珈琲を楽しんでいるのではないでしょうか。

珈琲の楽しみ方は人それぞれです。それぞれの形で珈琲を楽しんでもらいたいと、様々なスタイルのカフェを運営し、人の幸せを追及しています。そしてこの度、障がい者の方々が個性を活かし、事業に貢献する実感を持って働くことのできる「焙煎所」を東京本社1階にオープンしました。実は私の長男は生まれつき重度障害を持っています。長男の子育ての20年を通して、障がい者の方の生きにくさや社会の寛容性のあり方について考える機会が多くありました。この焙煎所のオープンが今の日本社会が抱えるこの困難な課題に一つの答えを見出すことができればと願っています。

働く人の安全を考え導入した最新の焙煎機

(了)

【障がい者の方々が個性を活かし働く「焙煎所」】

C-United株式会社の新規事業:障がい者の方々(以下「CUクルー 」)が珈琲生豆の配合(ブレンド)から焙煎・梱包、発送までを行う焙煎所を2024329日(金)に東京本社1階に新設。

ここで焙煎された特別なコーヒー「珈琲館 銀座ブレンド」を、6月6日(木)より銀座エリアの『珈琲館』の2店舗で新発売。

CUクルー: C-United社 で働くハンディキャップを持ちつつ、一緒に働く仲間。

焙煎所内で丁寧に作られる新製品・銀座ブレンド

 

友成 勇樹氏 プロフィール

1963年75日 東京都文京区生まれ。中央大学卒。KELLER経営大学院MBA修了。

1986年に日本マクドナルドに入社し、34歳で米国マクドナルド本部に出向。

4年間の海外勤務を経て帰国後、新会社の代表取締役社長に就任。

その後、2004年に独立し、モスフードサービスの取締役などを歴任。

現在、カフェ・ベローチェや珈琲館、カフェ・ド・クリエを中心に、

570店舗のカフェチェーンを手掛けるC-United株式会社で代表取締役社長を務める。

C-United 株式会社 公式サイト:https://c-united.co.jp/

 

取材後記:

お忙しい中、C-United株式会社の本社1階で取材のお時間をいただきました。60代とは見えない若々しいルックスで、それがハンバーガーによるものなのか、はたまた珈琲による美容効果なのか、個人的にはとても気になりました(笑)。焙煎所ではCUクルーの方々が最新の焙煎機と共に一生懸命に働いていらっしゃるのも見えました。

社員の方々との距離もとても近く、気さくに社員の方と交流される友成社長のお人柄がよくわかる取材でした。目下のところ、悩んでいるのは社員のだれよりも元気な自分だとか。米国へ出張に行った際も、40代の社員さんが発熱したり、体調不良が続出したり。最後まで元気なのが友成社長だったそうです。近いうちにその健康の秘訣を伺うために一献酌み交わさせていただきたい!と思いました。

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