親孝行の心で、しあわせ創造企業を発展させているスゴい人!DAY2▶青谷洋治様

昨日に引き続きご紹介するのは、日本一の流域面積を誇る利根川が流れる茨城県を本拠とする株式会社坂東太郎の会長、青谷洋治様。農家の長男でありながら24歳で飲食店第1号店を開店し、一代で和食からステーキ、とんかつ、高級食パン店まで直営81店鋪、そして企業主導型保育事業まで手掛ける実業家となったその足跡と経営理念、哲学をお聞きしました。

 親孝行 人間大好 

DAY1を読む

みどころ

*会社の将来を見据えた矢先に倒産の危機!

*亡き母の言葉で目が覚めた!

*これからの(株)坂東太郎グループとは

 

長期的なビジョンの必要性に気が付く

編:1店舗目を独立されてから、出店数が現在の81店舗になるまでにはどんな工夫をされたんでしょうか。

青:多くの方の助けをいただきながら店舗を増やしていく中で、ある日事業拡大をしていくための具体的で明確な目標が必要だと気が付いたんです。それはとあるアルバイトの親御さんに「大事な娘には接客業をさせたくない、お店でお酒や食べ物を出す仕事で働かせたくない。」と言われたことでした。その言葉を聞いた時に、従業員の両親が喜ぶ職場でありたいと思ったんです。坂東太郎の従業員が素晴らしい人に育てば、坂東太郎で働くことが憧れとなり、また誇りとなる。ただ食事を提供するのではなく、従業員とお客様がその一期一会の時を心から楽しめるようなおもてなしをする。いわゆる外食産業を「おもてなし」という文化にするぞ!と決めました。

 

編:今につながる大きな目標ができたんですね。

青:目標が大きいですから、そこに向かう一つ一つのゴール設定は明確にしなければならない。まず定性的な目標として店舗の接客スキルの向上を上げました。食べるということは命を預かるということ。空の上でお客様の命を預かりながら、素晴らしいおもてなしを実践していた全日空のキャビンアテンダントさんから一流の接遇を徹底的に学ばせていただくことにしました。

そして定量的な目標としては当時、弊社の10倍売り上げがある会社をベンチマークしました。当時ご縁がありました、山口県にある会社と、鹿児島県にある会社です。この地方の2社には何度も足を運んで、多くの優れた点を勉強させていただきました。弊社に足りないものを発見してどんどん取り入れていく。坂東太郎で働くことが喜びとなる、そんな会社にしたいという一心でした。

倒産の危機を救った、母の声

青:ちょうど5店目を作ったころです。時代は高度経済成長で世の中は右肩上がり。就職は売り手市場。どんな企業も優秀な人材を取り合う時代でした。当社のベテランの社員がより良い待遇を求めてどんどん退職しました。店舗にお客様は来てくださるのに、従業員がいない。いわゆる労務倒産の危機に直面したんです。これ以上の退職は許容範囲を超えると思いましたので、人手不足により残業が多くなっていた従業員には思い切って定時で帰社してもらいました。ちゃんと休んでもらおうと。

 

編:人手が不足しているのに、店舗には従業員がさらに不在になりますね。

青:そう。だから店舗閉店後は、妻と二人で全店舗の掃除と翌日の仕込みをしたんです。5店舗分すべて終わるのが夜中の3時くらいでした。妻と二人で帰宅する道すがら、母の墓前を通るのですが、夫婦二人で手を合わせて祈りました。「ここまでやって来ましたが、ついに会社は労務倒産するかもしれない。お袋、どうか助けてください。」ってね。毎日毎日祈りました。1ヶ月ぐらいすると、夜中にお墓で幽霊が出るって近所で噂になっていました(笑)。3カ月ほどした時に、墓前に手を合わせていたら、ふっとお袋の声が聞こえたんです。「働いている人が幸せじゃないから、辞めていくんだよ、働いている人を幸せにすればいいんだよ」と。はっとしましてね。それから3日後に150人いた従業員を集めて頭を下げて、謝りました。「皆のことを考えて仕事をしているつもりだったけれど、違ったのかもしれない。本当に申し訳なかった。これからは膝を交えてみんなの話を聞いていこうと思う」と。

 

編;何がいけないのか、お母さまが教えてくださったんですね。

青:あれは確かに母の声でした。そこから始めたのが今も続く「社長塾」なんです。膝を交える、つまりみんなで正座をしてお互いの話を聞く。日本の文化でもある正座をして話をすると素直に心が開く気がします。従業員も本音で話してくれました。辛辣な事も、社長として耳が痛いこともすべて受け止めていくと決めて、たくさんの話を聞きました。1年半ぐらい経った時にある幹部が、「社長塾で社長に皆で不平を言っても意味がない。これからはもっと前向きな話をしよう。」と言ってくれたんですね。

 

編:ただ社員の考えや思いを伝える場ではなく、どうしたら会社が良くなるかを話し合う場へと風向きが変わったんですね。

青: 今ではこの「社長塾」は従業員がそれぞれの夢や、目標を語る場になっています。膝を交えて話をすることで、お互いの距離も近くなりました。従業員を幸せにするためには会社がどうあるべきか。経営者が社員の話を真剣に聞き、考えなければいけません。今この社長塾は現在の社長である私の息子にも受け継がれています。この「社長塾」は当社の大切な財産だと思っています。

取材の日、小雨が降る中を従業員の方々が整列してお出迎えくださいました。

編:御社には引き継がれてゆく文化があるということですね。社員の皆様が「おもてなし」の心で働いていらっしゃる姿を、私たちもさきほど拝見しました。

青:外食産業を文化に育てたい。そこに人が育つ環境を作るんだと決めてから、従業員と一緒に会社を作ってきました。外食産業は人を預かり「おもてなし」の心を育てる仕事。そんな思いから2019年に保育園を設立しました。ここでは小さなお子さんをお預かりしています。人への感謝の心、奉仕の心を持つ子供が育ち、羽ばたいていくといいなと考えています。僭越ながら子供たちに知っていてほしい事として絵本を出版しました。「おてんとうさまがみてますよ」。良いことも、悪いことも。嬉しいことも、悲しいことも。誰もいないと思っても、必ず空は見ている、八百万の神様は見守ってくれています。だから正直に信念をもって生きていく。そうすると必ず自分に返ってきます。そんな昔ながらの日本の精神をこの絵本を通して伝えたいなと思っています。

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編:モノがあふれ、価値観が多様化し、情報に溺れてしまいがちなこの時代にこそ、人とのつながりの大切さが重要なのかもしれませんね。

青:我々日本人は、敗戦を経験し、阪神大震災、東日本大震災を経験しました。今もこれからも私たちに必要なのは競争ではなく共創です。人と人との信頼関係が創り出す共存共栄が支える社会を実現したいと思っています。

 

編:2016年、社長を息子さんに譲られましたが、会長となられても積極的に新たな事業に挑戦していらっしゃいます。

青:創業してから45年。2016年に代表取締役会長となりました。社長へは先輩として教えることもありますが、あまり出しゃばらないように注意しています(笑)。新しい試みとしては、宇宙食の開発・防災食開発にも挑戦しております。また、2021年度内には女性をターゲットとしたスィーツパーラーを新規に立ち上げます。そこで使うフルーツは、当社農場ビニルハウスで栽培したものも提供します。そこでは障害や難病がある方も一緒に楽しく働けるような職場を実現したいなと考えています。

 

編:人を大切にする会社、坂東太郎グループの事業はどれも優しさが感じられます。利益追求の手前にいる従業員や顧客の幸福を第一とする。半世紀に及ぶ社長のご経験がきちんと経営に生かされている御社のような企業が日本中に増えるといいなと思います。本日はありがとうございました。

青:ありがとうございました。

ライター:NOZOMI 構成:NORIKO

(了)

 

編集あとがき:パリッとスーツを着こなす、青谷会長。至誠一貫、常に相手を思いやる気持ちを大切にされていて、「知らない事が一番怖い事である。」と常に謙虚に学ぶ姿勢でいらっしゃいます。50歳を過ぎてから15歳で諦めた、高校へ進学しました。お仕事をしながら10代のクラスメイトと学業を修め卒業されました。今でも様々な大学のオープンキャンパスで、経営哲学を勉強されたりと学び続けておられます。「人間大好き」、その名の通り、私達取材チームを手厚くおもてなしくださいました。いつも多くの方々に必要とされ、また会長の周囲に人が絶えないその理由がわかりました。

 

青谷洋治氏 プロフィール

茨城県八千代町出身、農家の長男として生まれ、幼い頃から農業に従事、15歳の時母の死をきっかけに一家の大黒柱となる。20歳、蕎麦屋のアルバイトを始めてから24歳で独立、その後1986年法人化し(株)坂東太郎設立、以後、坂東太郎グループを率いて現在茨城県内を中心に直営80店舗以上経営。社会に幸せを生み出す、しあわせ創業企業を目指す。

 

しあわせ創造企業坂東太郎グループ ホームページ http://bandotaro.co.jp/

2021年10月16日 小山の新名所

坂東太郎グループ 株式会社蛸屋の「おかしパーク」がオープン! http://tacoya.co.jp/event

 

 

 

 

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