落語と言えば日本古来の伝統芸能。その芸能が海を渡った。
ヨーロッパやアジアに赴任された日本人に、笑いの場を提供すべく落語遠征をした男。
型にしばられず、自分がワクワクすることを追い求め続ける。
新しいことに挑戦しながら、伝統もしっかりと守る。
さあ・・・ 三笑亭夢太朗様の登場です!
「伝統芸能のススメ」
小学校3年、雨で体育の授業が自習時間になり、その時、友達と即興漫才。
これが人生初!人前で笑いをもらった瞬間。
ラジオで聞いていた落語を初めて生で聞いたのが、小学校6年生。
その時、印象に残った桂文楽師匠の「明烏」。内容は廓話[女郎買いの噺]。
「なんていやらしいおじさんなんだ。嫌だなぁ~」
その場で気分が悪くなりトイレで吐いてしまったんだよね
でも、講談師になりたがっていた20歳上の兄貴の影響で、私は噺家に強い魅力を抱いてました。
中学卒業する時、既に夢は噺家。
高校1年の夏休み、立川談志師匠が書かれた「現代落語論」を読み、ひとりで真山恵介先生(演芸評論家)の所を訪ねました。
「私は噺家になりたいんです」そしたら
「折角、高校に入学したのだから卒業しなさい。その間、いっぱい落語を聞きなさい」
色々な寄席に行きました。卒業する直前、真山恵介先生に
「誰の所に弟子入りしたい?」と聞かれ、何か惹かれるものがあった三笑亭、夢楽師匠を希望しました。
志を胸に、卒業式が終わったその足で、新宿末広亭に駆けつけ、初対面の夢楽師匠の前で卒業証書を両手で広げ「卒業しました。入門させてください」
最初から噺家になるのが夢だったので、給金ゼロが続いても、給金が少なくても、師匠の家で掃除、洗濯、料理、お風呂などの修行は何の苦でもありませんでした。
落語の出来に満足は無いのです。結局、一生修行ですね。
60歳を過ぎた今、お客様に媚びるのはやめようと思っています。
お客様に簡単に理解していただけない部分があったとしても。古くからの姿勢を崩さず、落語ってこういうものだよ。という作りかたをしたいのです。
若い人にわかる落語をすると、話が壊れてしまう部分もあるんです。
伝統芸能は息をしているものだから、一度、生の落語を聞きに来て欲しいね。