2004年川崎フロンターレ、2005年アビスパ福岡、2006年柏レイソル。
3年連続でJ2チームのJ1昇格に貢献していることから、“昇格請負人”と呼ばれるプロサッカー選手が本日登場する。1996年に横浜マリノスでプロデビューし、以来日本の各地、さらには韓国のクラブチームで活躍を続け、現在はコンサドーレ札幌でディフェンダーとして活躍している。
今でこそプレーでもパフォーマンスでもサポーターの人気を集めている彼だが、長いサッカー人生の中には、思うように行かず悩んだこともあったと言う。彼を変えた出来事とは?
大切にしている思いを聞かせていただきましょう。
さあ・・・コンサドーレ札幌ディフェンダー岡山一成様の登場です!
「自分の為より誰かのために」
僕はプロサッカー選手として最高のスタートを切ることができました。デビュー戦から3試合連続ゴールを決め、正直、調子に乗っていました。
応援してもらえるのも当たり前。プロサッカー選手になった時点で自分が普通の人より上の存在にすら思えていました。自分さえ良ければ良い。そんな気持ちから、サポーターやチームも自分の為に存在していると勘違いをしていたのかもしれません。
しかしある時、ブーイングも多く、サッカーが楽しく感じられなくなっていることに気付きました。成績も落ち込んでいき、試合に出る機会すら減っていきました。
自分の為だけにプレーすると思うと練習にも身が入らずにいたのですが、こんな自分のことも応援してくれるサポーターやチームメイトたちの存在の大きさに、少しずつ気づき始めました。ハッとしました!
自分は今の状況を誰かのせいにばかりしていたのに、サポーターは僕らの為に応援し続けてくれている。その時に「自分の為」や「誰かのせい」という気持ちは弱く、「誰かの為」という気持ちは強いのだと気づきました。
それからは、サポーターやチームメイトの為に練習や試合に臨むようになり、その結果、成績も上がっていきました。
涙が出るほど嬉しい瞬間も増え、僕のサッカー人生に感動が生まれていきました。練習や試合だけではなく、岡山劇場と呼ばれる試合後のマイクパフォーマンスで、サポーターとも気持ちを近づけていくことができました。
気がつけば感動も増え、またサッカーが楽しくなっていました。その後移籍を繰り返しましたが、「岡山が移籍したJ2のチームはJ1へ昇格する」と噂され、いつしか“J1昇格請負人”と呼ばれるようになりました。
しかし年齢的な問題もあり、2008年に所属チームが無くなりました。自主練にも身が入らず、公園でぼーっとして過ごす日もありましたが、やっぱり諦めたくない!
そんな気持ちが芽生えた時に、日本ではなく韓国のチームからオファーがかかりました。サッカー選手でいたい、その一心で韓国リーグへ挑戦し、その年のトヨタカップにはアジア代表チームゲームキャプテンとして出場を果たしました。
信じて諦めないこと!そこに奇跡と感動が生まれると思います。感動なき人生に興味なし