
未経験にもかかわらず、日本が誇る超人気アニメ「ドラゴンボールZ」に大抜擢され、脚本家デビュー。以来30年にわたって、「ドラゴンボールGT」、「セーラームーンセーラースターズ」、「フレッシュプリキュア!」、「名探偵コナン」等々、名だたるヒット作品を中心に第一線で活躍されてきたのが、脚本家の前川淳氏。定評ある大人気漫画を担当するとなると、原作者、プロデューサー、とりわけ熱いファンの期待に応えねばならず、そのプレッシャーは並大抵のものではないはず。そうした中、一本一本実績を重ね、鳥山明先生ほかレジェンド漫画家たちに認められてきた氏。その仕事への思いを語ってもらった。
迷ったらGO!
本日の見どころ▶“原作に追いつく”アニメ脚本の舞台裏▶二足のわらじから脱サラへ――覚悟の転機▶夢をつなぐ――自身の原作をアニメ化する挑戦
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アニメ脚本の特殊性と初仕事

当時の「ドラゴンボールZ」のアニメは原作に追いついてしまっていて、「この一コマで一話分書いて」とか、「この回と次の回の間の話を書いて」など、オリジナルでストーリーを作らなければはりませんでした。ですが、僕は未経験だったこともあって、そんな状況のときに原作漫画の一話分を「この通り書け」とそのまま用意してくれたんです。鳥山明先生の作品ではルールがあって、漫画に書いてある絵とセリフを変えるのはNGなんですが、それ以外はオリジナルで自由に書いてくれていいという条件でした。ただ、僕の場合は漫画の一話分をまるまるもらっているので、それをシナリオに落とし込んだら、それで埋まるんですよね。そうして書いた脚本をプロデューサーに見せたら、「確かに原作の漫画どおりに書けとは言ったけれども、これでは君の力がわからない」と言われて、次の回も書くよう依頼してくれた。今度はまるまるオリジナルの回でした。プレッシャーを感じるというより、とにかく無我夢中で書いたら、それを認めてもらえた。今考えたら、デビュー2本目の僕によく完全オリジナルの話を書かせてくれたなと思います。書けない可能性もあるわけで、下手したら1回の放送分が空いてしまうじゃないですか。
アニメ脚本家になる道筋の特異性
よく「アニメの脚本家にはどうやったらなれますか」って聞かれるんですけど、資格のいる職業でもないし、ドラマの脚本はヤングシナリオ大賞とか、テレビ局がコンクールを主催することもあるんですけど、アニメの脚本はそういう類いのものはありません。どんなに力があってもプロになるのはまた別で、運もなくてはダメなんですよ。アニメの脚本家に「どうやってなりましたか?」と尋ねたら、たぶん皆デビューの仕方が違うと思います。よくあるのは、アニメ関連の会社に就職して、最初は違う部署なんだけど、アニメの現場に近い場所に身を置いてコネを作り、「書きたいんです」ってアピールし続けると、「じゃあ、ちょっと書いてみるか」というパターン。どういう形であれ、コネクションを作らないとなれないので、僕の場合はかなり異例かもしれません。
脱サラの決断と新たなスタート

サラリーマンをしながら、週末は脚本家としてシナリオ執筆に没頭(33歳の頃)
前にも述べたように、デビューから4年間はサラリーマンとの二足のわらじでした。ドラゴンボールのプロデューサーからは、「3年やってみろ。3年続けて脚本の仕事が途切れなかったら、たぶん大丈夫だから、そのときは会社を辞めて脚本家一本で行けるよ」と言われました。幸いにも、3年目にまだ仕事あったんですね。ただちょうどそのとき、化粧品会社の社長が病気で急死されてしまったんです。家族経営に近い会社だったので、屋台骨がなくなり経営が一気に傾いてしまった。そのような状況で僕だけ辞めるとは言い出せず、新社長に就いた息子さんを手助けしながら、会社が立ち直るまでもう1年プラスして、翌年に退職しました。実は「仕事をお願いしたいから、そっちの会社(化粧品会社)は辞めたら?」とおっしゃてくれる別のプロデューサーがいたんです。二足のわらじで、僕が今の仕事で手一杯であることを知っていたんですね。晴れて脚本家1本になった途端、その方が本当に、しかも2本も仕事をくれた。それが「デジモンアドベンチャー」と「おジャ魔女どれみ」なんですけど。
自分が本気で面白いと思えるものを作る
以来、手がけた脚本数は850本弱。デビュー以来、仕事がほぼ全部ビッグネームなんです。それが、本当に僕を支えてくれていますね。シナリオを書く上で心がけていることは、まずは自分が面白いと思うかどうかです。デビューして2~3年目のときに「ドラゴンボールGT」という「ドラゴンボール」のオリジナルの仕事を手がけることになるんです。原作は終わっているのでアニメはオリジナルストーリーで作らなければならない。そのアイデア出しをプロデューサーを含めた関係者ですると、二言目には「鳥山先生だったらどうするだろう。先生ならこんな発想をするんじゃないか」といった話になって、立ち往生するわけです。あるとき、誰かが「鳥山先生という天才がどう考えるだろうなんて、俺ら凡才がいくら頭を付け合わせて考えたってわかるわけがない。天才がどうするだろうなんて推測すること自体がおこがましいんじゃないか?」と発言したんです。だったらせめて、この作品に関しては、「俺たちが原作者ぐらいの気概で書いて、自分たちが本気で面白いと思えるものを作る。そうすることが、先生に対するリスペクト、誠意になるんじゃないか」と。
発言が“切り取り”で伝えられ大炎上

この話をどこかでしたところ、今でいう“切り取り”ですよね。「ドラゴンボールGTは俺が原作者だ」ってニュアンスで伝えられ、ネットで大炎上しました。当時は「2ちゃんねる」が全盛の頃で、僕のアンチスレッドができて、誹謗中傷が5年ぐらい続きました。もともと、「ドラゴンボールGT」はオリジナルなので、まず先生の熱烈なファンから批判があったんです。「先生の作品を勝手に作るんじゃねえ」みたいな。そんな土壌があったうえに、「この作品の原作者は俺だ」と言ったような書き方をされちゃったので。でも当然ですけど、小学生など「GTが初めて見たドラゴンボール」という子どもたちがたくさんいるわけです。その子たちが大人になった今、この作品がすごく評価されていて。「GTが面白かった」って言ってくれるんですよ。ようやく報われたなと。もちろん鳥山先生からも評価いただきましたし、主人公である孫悟空役の野沢雅子さんからも「最終回のこのセリフが特に良かった」といったご感想をいただいた。アニメファンって熱心な方が多いですから、「ドラゴンボール」シリーズとは違う他の作品でも、ファンから叩かれて炎上することがあったんですけど、そのときも、プロデューサーほか制作スタッフからはすごく評判が良かったのは救いでしたね。
自身の原作のアニメ化。生涯にわたる夢

前川氏が原作を手がけた「アサシンズラビリンス~殺し屋迷宮」(秋田書店)
幸いにも、途切れることなくオファーをいただいてきましたが、今後やりたいことが一つあるんです。2022年から2年間、「アサシンズラビリンス~殺し屋迷宮」(秋田書店)っていう漫画原作を書いたんです。原作を書いたのは、今のところ、これが最初で最後。「月刊チャンピオンRED」っていう月刊誌に連載されたんですが、残念ながらあまり人気を得られず、単行本三巻で終わってしまったんです。僕は今まで他の先生方が作った原作をもとに脚本を書いてきたわけです。でも、この作品は僕自身が原作者。さんざん“よそさま“の原作の脚本を書いてきた僕が、自分が原作した話があるのに、その脚本を書いてアニメ化しない手はないだろうし、やらねばいけないと思っている。そこで、出版社の許可を取ったあと、知り合いのプロデューサーに読んでもらったんですね。「面白かった」とか「つまんなかった」とか、そういう話をされると思ったら、その彼が最初に言った言葉が「これ、何万部売れたの?」。出版社の担当者に確認して部数を伝えたら、「ごめん、その部数じゃ無理だ」と。彼はすごく仲の良い友人なんですけど、最初にプロデューサーの立場ではっきり言ってくれたのは、ありがたかったですね。正規のルートでは厳しいんですけど、実写でもインディーズの映画がヒットする例もあるし、アニメだって本気でやろうと思えば手はあるはずで、ただ絶対一人では無理。資金の面だったらクラウドファンディング等もありますけど、アニメ1本作るのってものすごくお金がかかるので、今は夢の段階ですね。それをいつかアニメ化したい。いつ実現できるかわかりませんが、これは僕にとっての生涯にわたるライフワークになるかもしれません。
(完) 取材・編集:長澤千晴
前川淳氏 プロフィール:
1964年生まれ。1995年に「ドラゴンボールZ」で脚本家デビュー。以来、子ども向けアニメを中心に活躍。代表作に「デジモンアドベンチャー」、「魔法戦隊マジレンジャー」、「名探偵コナン」「HUNTER×HUNTER」など。2025年に脚本家生活30年を迎えた。シナリオ・センター出身。日本脚本家連盟理事
取材後記:
何本もの大ヒットアニメを手がけられてきた前川氏。そのご活躍の背景には、奥様のご理解と温かなサポートがありました。節目となる35回目の結婚記念日に、デビュー作が地上波で放送され、ご夫婦でお祝いしたというエピソードには思わず鳥肌!お伺いした取材陣も幸せな気持ちになりました。





