
誰にでも「どん底」を味わった経験があるだろうし、もちろん、筆者の私でもそういった経験は思い当たる節があります。しかし、今回のお話を聞いてしまうと、そのどん底がいかに生温いもであったか思い知りました。今回は、15歳の頃、突如として2億の借金を背負うことになった少年が、いかにして71事業を展開し、1800人にものぼる従業員と巨万の富を築くことができたのかを、プラスワン株式会社 代表取締役社長「古賀正靖」さんに取材させていただきました。
咲いた花見て喜ぶならば咲かせた根元の恩を知れ
「プラスワンという社名の意味」
他の警備会社さんと比較された時に「やっぱり古賀くんに頼んでよかった!」と言っていただく ことが大事だと思ったので、僕は付加価値として「感動サービス」というものを実施することにしました。これまで社長さんたちにいただいた恩に報いたい。その信念を形にするために、会社の名前を「プラスワン」と命名しました。「他社とは違う価値を提供し、感動してもらえる仕事をしよう」というビジネスモデルを築くためです。ちなみに、付加価値とは別の二つ目の意味があります。「プラスワン」という文字には、最後に「ン」がつくじゃないですか。これは、どれだけしんどい思いをしても、最後には「運」がついてくる。努力をした分、「運の良い結果を迎えたい」という願いを込めて付けられています。ただ、表向きには美談として語っているんですけど、実際には当時、夕方に「ニュースプラスワン」という番組が放送されていまして、それを見た瞬間「これや!」と思って付けたところもあったりします(笑)
「口コミを狙った「感動サービス」の誕生」
顧客満足(CS)をどこの会社もよく目指しているんですけど、それはただ満足してもらうだけで「お客様がのびない」と実感として思うことがあって…例えば、1900円で良い映画を観るとするじゃないですか。その瞬間は「あ~良い映画観たなぁ」と思っていても、家に帰ってビールを飲んで野球中継を観ていたら忘れてしまっている。っていうのが、「満足」するような映画です。でも感動する映画に出会えた時、人は何をするのかと言うと、その映画のことを「人に話したくなる」と思うんです。「あの映画のあの登場人物かっこよかったよね!」「え!まだ観てないの!?人 生の半分損してるわー!」みたいに、ついついその時の感動を伝えたくなってしまう。僕はそれが「感動サービス」だと思っていて、その感動をクライアントに提供することができれば、お客様が口コミでどんどん広がっていくのではないか?と考えたんです。特に、当時はインターネットや広告媒体にお金をかける余裕もなかったので、とにかく口コミで広めてもらうしか方法がなかった。どうすればお客様に口コミしてもらえるかを思考したときに、最終的に行き着いたアイデアでしたね。僕がそのこだわりを思いついた一つ目の理由をお話しすると、昔、警備協会で推奨していた旗の振り方があって、それは、赤の旗を進行方向に向けて、白の旗を頭の上から大きく振って誘導するというルールでした。でも、この動作をおじいちゃんたちが1日8時間、道路に立ってできるのか?と考えた時に「できない」と思ったんです。疲弊してきたら肩が上がらなくなるから。するとどうなるか。指示が不明瞭になったことで渋滞になってしまって、待たされていた運転手が怒り始めるわけです。心無い言葉を投げかけたりとか、ゴミを投げつけたりするんです。しかも、うちの警備員さんもまぁまぁ勝ち気な人が多かったんで(笑)そこで喧嘩が勃発して…。もっと悪いことに、喧嘩をすると1時間ないし2時間、現場が止まってしまって、その損失は結局、土木業者さんが持たなくてはいかなくなる。それはよくないと思って、僕は誘導の仕方を「付加価値」として変えることにしました。
その方法は、「白旗を上からではなく、下から振る」というものでした。そうすると、上にするより肩が楽になると同時に、下にすることで自然と頭も下がるんです。それが「ありがとう」とお辞儀をしているように見える。「協会のルールとは別の方法で誘導して、事故でも起こったらどうするのか?」と指導教育していたおじいちゃんの先輩から警告されんですけど、事故も何も、これだけクレームが出てクライアントに迷惑をかけていたら、ビジネスモデルもあったもんじゃないし、僕がいない時に現場が1時間も2時間も止まるような状態になってしまっては、恩人である社長に申し訳ないじゃないですか。だから、これだけはゆるずれないって、喧嘩をしながらも自分の意志を貫き通して、誘導の仕方を変えたんです。すると驚くほどにクレームも減って、土木の社長さんも喜んでくれたんです。僕の事情も含めて「めっちゃ面白いやつおるねん」「苦労しただけあって、ええ方法思いつきよるねん」って、他の会社にも良さを言い回ってくれました。そうすると「そいつ紹介してや」と横へ横へと広がっていって、まさに口コミで広がる「感動サービス」に繋がったわけです。
「71事業実現の秘訣」
困っていることを解決できたら、それってビジネスになるんじゃないかな。と思ったのが、二つ目のこだわりです。そこで、スタッフ全員に申し渡したのは、お客様が何か困り事を話されても
「へぇ~」と終わらせてしまうのではなく「その困り事、こちらで引き受けさせてもらっても良いですか?」と、やったことがなくても、社長に相談してみますって持って帰ってこいって。その困り事をヒヤリングして、なおかつ、そこに感動サービスを付け加えていけば、きっとビジネスに発展していくし、同じような課題を抱えた会社はたくさんあるから、さっき話したような口コミ形式で、仕事も横にどんどん広がっていくと考えました。
今までの仕事も増えるし、同時にもう一つの仕事も平行線として伸びていく。同じようにその線でも困っている人がいたら、感動 サービスでさらにもう一本の線も増えていくといった流れです。その方針でビジネスを展開していくことで、今僕の抱えている事業が71事業に拡大することに成功しました。実はこの71事業のうち、僕が始めたくて始めた事業は実は何ひとつ存在しないんですよ(笑)。儲かるからやろう!よりも、人が求めているものに応え続けた結果、手にすることができたビジネスモデルでした。感動という付加価値をつける。そして、人々の困っていることを解決する。この二つのこだわりが、仕事を行う上でのキッカケとなりましたね。
「経営者として学んだ生き方」
構築したビジネスモデルの先にある話にはなるんですけど、人が増えてくるということは、それだけ自分1人でできることに限界を感じてくるんですよね。そもそも僕は中学校の時点であまり勉強をしていなかったし、小学校から新地で遊んでいるようなやつだったんで、正直、掛け算とか4の段以降は自信がないんですよ。今でも(笑)。賢いことは言えないし、各種専門家の人たちと向き 合ったとしても、良いことを話せるわけがない。その人たちよりも能力が高いわけでもないし、それ以上の能力を発揮できるわけでもない。それでも、社長はやらなければならない。「なにができるかな~」って考えた時に、基本的に「お任せすること」に比重を傾けることにしたんです。餅は餅屋的な。専門家たちの能力を信じて、その人たちが最大限の能力を発揮できるような環境づくりこそ、社長の仕事だと、考えを変えていくことにしました。ただ、その上で先ほど申し上げたような二つのこだわりだけは専門家一同に共有するようにはしています。ただただ、専門的な課題解決だけで終わらせては同業他社と何ら変わりがないので、その人たちにとっての感動は何か?を追求して「プラスワン」にしかできない取り組みをしていくこと。ここさえ守ってもらえたら、責任はすべて僕が持つから、あとは自由にチームを編成してもらっても構わないスタンスにしています。基本的には指揮も取るし、プロジェクトが進行してからも定期的にリーダーと飯食ったりして、プライベートなコミュニケーションをとって信頼を築きながら、任せやすい環境も作っていく。そうしたら僕のことについても理解できて「こういうことを言えば社長は喜ぶんだ」「これを言えば嫌がるな」と予測できるようにもなる。そうなれば、僕自身が「ん?」となるようなこともなくなっていうのが、仕事をする上で大事にしている信条ですね。だからこそ、僕に持っていない能力のある「尖った人」を探すために、いろいろな経営者団体の交流会に参加していたりします。今では、これまでお話しした信条はもちろん、ビジネス創出に向けた取り組みやマインドなど、セミナーとしてお伝えする機会も増えています。そうして出会った人たちに、僕と仲良くしていたら「プラス」になるかな?とか、そんなふうに考えてくれたらPRしてくれるじゃないですか。その中で、変わった職業をされている方に出会ったりなどしていくと、僕の中にまた引き出しが増えていくわけです。誰かの困り事を聞いたときに、その引き出しから紹介できる専門家を出すことができるわけです。問題解決が自分の中だけでない形で達成されていく。そういう環境作りを行なっていくことも、僕にとっての指針の一つですね。
「これからの目標地点」
正直、「もういいかな」という気持ちはすごくあって(笑)ただ、父の遺言の中に「もうはまだなり。まだはもうなり。」って言葉がありました。「もうこれぐらいでいいか」と思っている間は「まだまだ」で、「まだまだや」と思っているくらいが丁度いいという意味なのですが、とはいえ僕ももう60歳くらいで引退したいし、父も64歳で亡くなっているんで、60で引退して4年間くらいはゆっくりさせてもらって、そのあとはもうどうなってもいいなと(笑)長生きできるような生活の仕方もしてないので…父に1日でも勝てばいいかなという感じです。子供達にもそのことは伝えているし、それまでには大成しろよとも言っています。70代80代の方が経営されている様々な企業を見ていると、脳の退化もあってか感情的になりすぎて経営判断を間違われている場面もよくあるんですよね。その結果、あまり良い会社になってらっしゃらない。その会社で働いている従業員たちも、お客様の方ではなくその経営者の方を向いて仕事をしてしまっている。これだと企業としては衰退していくだけです。なのでプラスワンでは、経営陣として責任を持って仕事をする立場になったら、60歳で引退する覚悟を持ってやれという言い方に変えて伝えています。そんな思いもあって、僕も60歳を引退の目安として考えています。ただ、60歳までの間に目標としていることがあるとすれば、今、僕の企業は60億くらいなので、これを100億くらいにして、上場ができるくらいの規模感にはしたい!というのが表向きの目標です(笑)だったら裏の目標は何だという話なんですけど、それはさっきもお話ししましたが、71事業の中で、僕がやりたくて始めた仕事は一つもないんです。でも、世の中には「好きなことで仕事を始めた商売人」がたくさんいることを知りました。その人たちは情熱的で、いつもキラキラと輝いている。その姿を見ていると
「羨ましい」って思えてくるんですよね。なので今度は「自分がやりたいと思えるビジネスと巡り合うこと」を目標として、今、新しい旅路を歩んでいるところです。
「取材を終えて」
想像だにしない逆境の中で、ただひたすら「生きるため」「守るため」「人のため」を考え、実践し続けて築き上げてきた古賀さんの実績は、誰にでも共有できる方法論として昇華していました。チャンスはピンチの顔をしてやってくるという言葉を聞いたことがありますが、古賀さんの人生はまさに、ピンチを一気に好転させた事例の一つではないかと思います。誰にでも、考え方一つで勝利を掴み取るチャンスがある。そう勇気づけられるお話しでした。
古賀正靖様 プロフィール 1972年9月2日 川西生まれプラスワングループ代表
プラスワングループ公式サイト https://plusone-group.co.jp/plusone-group/