手塚治虫氏の名作「ブラックジャック」の舞台製作が佳境に入っている。今回主役のブラックジャック役に抜擢された大迫一平氏。数々の作品に出演する、将来を嘱望されている中堅俳優だ。舞台練習の合間のお時間に今の心境とこの舞台にかける意気込みを伺った。
やるしかねぇ!
大好きな野球で味わった不条理と喪失
編:神奈川のシード校!まさに「古豪復活か!?」と見出しになるような状況ですね。
大迫氏:もちろん僕たち選手もひょっとしたらなんて、小さくない期待を胸に試合に臨みました。イメージは何度か勝ち抜いた結果、最後の試合で負けて、僕たちの野球が終わる。そんな華々しい最後にふさわしい舞台があるんだと、優勝なんか無理ですけど、それくらいの予想と期待は持っていたわけです。ところが、初戦で負けてしまったんですよ。
編:あああ。それはきついですね。
大迫氏:見出しは「シード校敗れる!」ですよ。まさに。1回戦目の対戦相手が、プロ注目のピッチャーがいる公立高校だったんです。うちは男子校だったので、マネージャーも男子だったんですけど、対戦相手を決めるくじ引きで彼がその高校を抽選でひいてきたんです(笑)。毎年キャプテンがくじ引きをするんですけど、なぜかその年だけキャプテンの僕ではなくて、マネージャーが抽選をひくことになって。今でも僕が引いていたら僕自身の気持ちが違ったんじゃないかと思うことはあります。
編:キャプテンとして自分がひいてきた相手に負けたなら、みんなに対する責任も取れますもんね。
大迫氏:そうなんですよ。抽選をひいたマネージャーを責めるのも違うし、キャプテンとして謝罪するのもなんか違う雰囲気でね。どこにぶつけたらいいのかわからない敗戦へのショックでしたね。完全に消化不良な敗戦だし、それをもって野球人生が終わりました。小学校からずっと毎日続けてきた大好きだった野球が、こんな形で終了してしまった。3年間、あれだけたくさんのノックを受けて、あれだけたくさん練習したのに、その試合で飛んできた球はたったの1球だけ。それで終わりです。それが最後になりました。あんなにたくさん練習した校歌も、一度も歌うことなく野球も夏も終わってしまった。
編:高校生としてはちょっと難しい不条理の極みですね。
大迫氏:そうなんですよ。そこから何も手につかなくなりました。無気力というか。もう言葉にできないし、自分の中で落としどころが見つからない状態になったんです。3年生なので、大学進学も考えなければならない時期ではありましたが、そんな気持ちになれなかった。
編:燃え尽き症候群みたいな?
大迫氏:そうですね、でも、燃え尽きることさえできなかったという状況なので、なんでしょう、もう一種の廃人みたいな状況になりました。
編:付属高校ですから、日本大学にはそのまま進学できるんですよね?
大迫氏:はい。当時から映画が大好きだったので、芸術学部を希望していました。俳優やってみたいなという気持ちは当時から思っていました。ちょうどその時に進路面談があって、僕の成績では芸術学部は難しいと言われて。学校が僕に出せる推薦は、国際関係学部だといわれました。
編:そんな心境でいたところに、自分がやりたいこととは違う未来が提示されたわけですね。
大迫氏:そうなんですよ。国際関係とか、僕は全然やりたくないことだけどなあ。と考えながら父親と電車に乗りました。その時に父親とも話をして、このまま国際関係学部に行くのがいいんじゃないかと言われて。じゃあ国際関係学部に行こう。と決めてしまったんです。この時にこの選択をしたことで「僕は努力することから逃げて、楽に入れる学部に決めてしまった」という気持ちが知らず知らずのうちに生まれてしまったんだなと思います。それからずっとこのうしろめたい、重たい気持ちを持ち続けてしまうことになりました。
編:挑戦することから逃げてしまった。みたいな?
大迫氏:そうですね。今でもそれはとても心残りだし、自分の中に大きな反省としてしっかりと抱えて生きています。そんな気持ちで入学した大学は、当然ながら全然面白くなくて、すぐに行かなくなりました。両親はそれでも大学3年まで学費を払ってくれましたけれど、結局退学してしまいました。母にはずいぶんと行っているふりをしていましたね(笑)。大学は三島にあるんですけど、平塚から電車に乗って向かうのですが、途中の熱海駅で途中下車してしまう。熱海で海を見て、ぼーっと時間過ごして帰宅する。それが母親にばれて車で無理やり連れていかれたりもしました(笑)。本当に親不孝でしたね。
編:でも、きっとその時はその時間が必要だったのでしょうね。
大迫氏;さすがに自分でもこのままじゃだめだ、何か夢中になれることを見つけようと思うようになりました。それでオーディション雑誌とかを買ってきて、いろんなところに応募して、養成所に入りました。
編:小学生から高校生までずっと野球をされてきた中で、俳優に興味が出たきっかけは何だったんでしょうか?
大迫氏:6,7歳の頃に、親戚が集まってみんなで平塚の映画館に行ったことがあるんですよ。たしか子どもは「小熊物語」で大人はスタローンの「コブラ」を見ました(笑)。平塚の映画館でその2つが同時上映していたんでしょうね。僕は途中で大人たちが見ている「コブラ」の映画の方へ入ったんですよ。大スクリーンにスタローンが映し出されている映画を見た時に。「あれ。僕はあっち側にいるはずなのに、なんでこの座席側にいて映画を見る側にいるんだろう。」という違和感を強く感じたんです。
編:その時の違和感を大学生になっても覚えていたんですか?
大迫氏:はい。その思いは心にずっとあって、映画をやってみたいなと思っていましたね。そこでSLA(スピリチュアルランド・オブ・アクターズ)という養成所に入りました。なのでなかなか大学に行けなくなったという面もありましたが、どちらかというと、あまり興味を持てないまま通っている大学の授業を受けていても、こんな無駄な時間を過ごすなら俳優になるために演技の練習をもっとしたいという思いが強くなったという方が正しいですね。
編:今回の舞台では主役のブラックジャックを演じられます。お気持ちはいかがですか?
大迫氏:僕がブラックジャックと出会ったのは少し遅くて、養成所時代になります。フリーマーケットでアルバイトしていたことがあるんですが、その時に自分で映画版ブラックジャックのVHSビデオを買って観ました。その映画のブラックジャックの声優はもちろん大塚さんでした。まさかそれから20年近く経って、僕が大塚さんと舞台に立つなんで夢にも思っていませんでした。
編:信じられないといった心境でしょうか。
大迫氏:いやもう、すごい!というのが第一の感想でしたね。なんて表現したらいいかわからないですね。僕は小さい時から野球ばっかりやっていたのであまりアニメとか漫画とかに触れてこなかったんです。そこで今回このお話をいただいて、きちんと漫画を読みました。今この歳になってもの凄く面白い漫画に出会って没頭してしまいました。
編:ブラックジャック役が決まった時に最初に報告したのはどなたでしたか?
大迫氏:母親ですね。「すごいじゃない!」と言ってもらいました。口には出さないけれどおそらく僕のことは心配していたと思うので、ようやく一つ安心してくれたかなと思います。僕自身は「今に見てろ、きっといつかやってやる!」という思いでここまで来ましたが、この業界が大変だという事は家族もよくわかっていると思うので、本当によかったですね。
編:それも、誰もが知っているブラックジャックです。
大迫氏:「主役のブラックジャックだよ。」と胸を張っていえるのは誇らしく思いました。家族にしても知人にしても、やはり皆が知っているコンテンツに出させていただけることの反響の大きさを実感しています。
編:親孝行できたのではないでしょうか。
大迫氏:親父は喜んでくれていましたね。ちょっと今体調を崩しているのですが、舞台を見て少しでも元気を出してくれたらいいなと思います。
編:これから出てみたい作品などはおありですか?
大迫氏:僕は映画が好きなので、「良い」映画に出たいですね。100年後にも残る作品に出られたら幸せですね。今後も映画と舞台を中心に頑張っていきたいなと思っております。
大迫一平氏プロフィール
1981年神奈川県生まれ
2024 舞台ブラックジャック http://www.tezuka-hat.com/
舞台「京極ノ轍~京羅戦争編~」powered by ヒューマンバグ大学
https://delight-company.com/human_bug_university_kyogoku/
映画「あこがれの色彩」5月10日~渋谷シネクイント他全国順次公開 https://akogare-iro.jp/
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