手塚治虫氏の名作「ブラックジャック」の舞台製作が佳境に入っている。今回主役のブラックジャック役に抜擢された大迫一平氏。数々の作品に出演する、将来を嘱望されている中堅俳優だ。舞台練習の合間のお時間に今の心境とこの舞台にかける意気込みを伺った。
やるしかねぇ!
大人に愛されたかった子ども時代
編集部(以下編):本日は稽古で忙しい中お時間いただきましてありがとうございます。よろしくお願いいたします。
大迫一平様(以下大迫氏):よろしくお願いいたします。
編:みなさんご興味のある大迫さんについて深堀させていただけたらと思いますが、まずは実は千葉のお生まれと伺いました。
大迫氏;千葉で生まれて、平塚に家族で引越ししました。新しくできたマンションで、引っ越した時は友達がいなかったので年少から幼稚園に入りました。まだ3歳だったのですがそのころから先生に好かれる才能がありましたね(笑)。先生に怒られたりしても、ちょこちょこっと先生のそばに行って「先生ごめんね」と可愛く言って、許される。みたいなことをすでにやっていましたね。
編:あー。クラスに一人はいるタイプじゃないですか!
大迫氏:いたずらとかもする、やんちゃな男の子だったんですけどうまくやるタイプでしたね。
編:歌とかもこの頃からお上手だったんですか?
大迫氏:ところが歌はね、下手だったんですよ。5歳の時、年長クラスの時のお遊戯会で主役をやったんですけど、僕が出てきて歌を唄ったら周りがウケたんですよ。ただただ大きな声で「ひと~りボッチ! ひと~りボッチ!」っていう歌だったんですけど(笑)。これが初舞台ですね。
編:5歳の初舞台!デビューですね。
大迫氏:人に注目されるのは気持ちいいなと思った瞬間でしたね。ホームビデオが残っていて、何度か家族で見たことがあります。
編:そのまま地元の小学校へ行かれたんですか?
大迫氏:はい。地元のなでしこ小学校へ行きました。小学校にあがってからも、なんとか人に好かれようとしている子どもでした(笑)。1年生の給食の時に、上級生が給食を配膳してくれたりするじゃないですか。そんなときにも、にこにこして、大人しくしてね。友達にも、「あいつ、いつもと違うじゃないか」とか言われても、「うるさいな、今は黙っておけ」みたいに思ってましたね。
編:ご両親はそれもわかっていたということですか?
大迫氏:すべてわかっていたと思います。母親にしてもね、なんか「母ちゃん機嫌悪そうだな」なんて時あるじゃないですか。そうすると「お母さん、今日奇麗だね~」とか言ってみるわけですよ。そうすると「こいつは将来ジゴロになるぞ!」なんて言われてました(笑)
編:ある意味、俳優の素質が花開いてます!(笑)
大迫氏:そうなんですかね。今思うと自分でも、ちょっと子供らしくないずるいところがある子供だったなという気もするんですけれど。まあでもそんな子供の発想なんて全部ばれてましたよね。わかった上で喜んでくれていたんだと思います。姉なんかはもう絶対わかっていて、あきれてましたよね。
編:お姉さんはいくつ違いなんですか?
大迫氏:5歳年上です。ですから姉はしっかり現実を把握していて、「あいつまた甘えてるな」って白けて見ていただろうと思いますよ。子どもの頃からそう言う性格で、人に嫌われないような術を知っていた子どもでした。
編:周りを見すぎて疲れちゃったりしないんですか?
大迫氏:基本的に人が好きなので、それはなかったですね。どうしたらこの人がいい気分でいてくれるか
なみたいな感覚で自然にできていました。
本格的な野球に出会った小学校時代
編:小学校でも楽しく、うまく過ごされていたんですね。
大迫氏:小学校2年生の時に野球を始めたんですよ。それから高校3年生までやりました。最後は外野手でした。日曜日に小学校の校庭で少年野球をやっているのを見て、やってみたいと父に話したのが最初です。父はなんでもやるなら本物をやった方がいいという考えの人で、地元の少年野球ではなくてリトルリーグに入りました。詳しく言うとリトルリーグの前の、低学年の生徒が入る、マイナーリーグというところに入ったんです。
編:マイナーリーグってあるんですね。
大迫氏:リトルリーグは小学校高学年から中学生が主にプレイするんですけど、マイナーリーグは低学年の子供たちだけでプレイするんです。使うボールは変わらず硬球ですけれど。塁間とかも少し狭くなっていて、低学年が無理なくプレイできる環境なんです。
編:近所にリトルリーグのチームがあったんですか?
大迫氏:いえ、遠かったのでいつも車で送ってもらっていました。中学校になったら自分で行くようになりましたね。中1から中3はリトルリーグの上のシニアリーグというのがあって、それは河川敷で練習していました。
編:野球は楽しく練習されていたんですか?
大迫氏:今思えばとても楽しい思い出ですが、当時はきつくて辛いと考えた練習もたくさんありました。今とは違ってまだまだ気合と根性でスポーツをやるのが当たり前の時代でしたからね。僕が高校に上がるくらいまでは普通に練習中に水を飲んではいけない時代でしたよ。平気で殴られてましたし、けつバットとか常識でしたしね(笑)
編:走るのも速かったんですよね。
大迫氏:けっこう早かったですね。マイナー・リトル・シニアリーグ・高校の野球部すべてでキャプテンをやらせてもらいました。それもやっぱり監督だったり、チームメイトだったりに「好かれていたい」という性格があって、任せてもらえたのではないかなと思います。
編:信頼される性格っていう事ですよね。
大迫氏:いやー、どうでしょうね。ちょっと僕は「ズルい」のかもしれませんよ(笑)
編:それほど野球に打ち込んでいたのであれば、高校野球では甲子園をめざされていたでしょうか?
大迫氏:いや、それがね、僕は神奈川県でしょ?当時の神奈川県と言えば、一つ上に松坂大輔さんがいたんですよ。何やったって勝てないってわかってた。神奈川県大会でトップなんて絶対無理だってみんなわかってるんです。中学時代から彼の名前は響き渡っていたし、異次元の野球選手が地元にいる中でシニアリーグ時代から自分が天才ではないと否が応でも気が付いていました。
編:なるほど。好きな野球で一番に慣れないことを感覚的に知ってしまった。
大迫氏:そんな中でキャプテンをやっていました。自分よりもうまい選手がいっぱいいるのを知っている中で、こういう人がプロに進むんだな、俺なんか全然難しいな。と感じていました。だから僕はキャプテンとして、声をたくさん出して、チームを鼓舞していく。そんな役割に徹していました。
編:キャプテンとして出来ることを努力されていたんですね。
大迫氏:僕の通った日本大学高等学校は、昔野球が強かった時代がありまして、僕らが勝ち進むと「古豪復活!」とか見出しが付くくらいでした。春の大会で神奈川でベスト16位に入ったこともあります。神奈川県内には野球の強豪校がひしめいているので、神奈川で16位に入るって結構スゴイ事なんですよ。それで夏の大会で第3シード校になりました。
大迫一平氏プロフィール
1981年神奈川県生まれ
2024 舞台ブラックジャック http://www.tezuka-hat.com/
舞台「京極ノ轍~京羅戦争編~」powered by ヒューマンバグ大学
https://delight-company.com/human_bug_university_kyogoku/
映画「あこがれの色彩」5月10日~渋谷シネクイント他全国順次公開 https://akogare-iro.jp/
ドラマ「ユーミンストリーズ」第3週「春よ来い」NHK 2024年3月19日 22;45~放送
他多数