株式会社ホンマルブロードキャスティング常務取締役 河端ゆきみ様
本日ご紹介するのは、ホンマルラジオ渋谷恵比寿局の河端様。今やインターネットは当たり前、コロナの影響もありインターネットでの音声コミュニケーションがとても注目されています。愛媛の町で警察官として交通指導などを担当していた彼女はいかにして東京恵比寿のラジオ局を運営するようになったのか、その人生を伺いました。
毎日本気で生きる
◆見どころ
―音楽大学を目指した優等生が突然警察官に
―専業主婦から起業、経営者へ
―結婚生活15年で離婚、シングルマザーとして子育てに奮闘
編集部(以下編):本日はよろしくお願いいたします。
河端様(以下河):よろしくお願いいたします。
音楽に明け暮れた真面目な子ども時代
編:さて、今はホンマルラジオの役員をなさっている河端様ですが、今日はここに至るまでにどのような人生を歩まれてきたのかをじっくりお伺いしたいと思います。ご出身は東京ではないんですよね?
河:はい。愛媛県松山市の生まれなんです。3歳上の姉が一人おりまして、父母、そして祖父母の6人家族で育ちました。
編:末っ子で可愛がられたのではないですか?
河:本当に普通の一般家庭でしてね。父はサラリーマンで、母は洋裁のお仕事をしておりましたのでよく姉妹でおそろいの洋服を縫ってくれたのですが、実をいうとそれは子供心にあまり嬉しくなかったんですよね(笑)。
編:えー?お揃いの洋服を着ている姉妹なんて可愛いですよ。今でも町でよく見かけますよね。
河:あれはね、姉はいいんですよ。一回だけだから。でもね。妹は違うの。自分が成長するとね、姉からのおさがりが下りてきますから、また同じデザインの服を着るわけです。
編:あーなるほど。お姉ちゃんは新しい洋服をかってもらうけれども。ですか。
河:そうなのよ。妹はね、同じデザインの服を結構長い期間着ることになるんですよ。皆さんにはね、可愛い!なんてほめてもらいますけれど、内心は複雑でした。
編:世の中の妹の方の同意がありそうですね。姉の立場だと持ちえない視点だと思います。
河;それに加えてね、うちの姉は自由奔放な人でしたから、割とよく両親に叱られていました。それを横目に見つつ、反面教師というか、いかに怒られないでいるかを学んで優等生で過ごしていました。
編;妹の特権ですね、それは。
河:自分でいうのは恥ずかしいですが、両親にはあまり反抗することなく素直に育ちました。3歳からピアノやサックスなどの習い事もまじめにやっていたのでね。朝から晩まで練習でね。音楽大学を希望していました。
音楽大学進学をやめ、警察官になる
編: それはご両親とも相談をした進路だったんですね。
河:それがね、ドラマが起きるんですよ。急に警官になったんです、私。
編:ん?音楽大学にはいかなかったんですか?
河:(笑)そう。直前でやめたの、方針転換。
編:えー。何が起きたんでしょう?
河:高校は電車通学だったんですけどね、学校のまでの途中に交番がありました。そこのお巡りさんに一目惚れしてしまったんですよ。(笑)
編:えー!!!信じられない!
河:うちの両親も信じてなかったですよね(笑)もうね、これは音大ではなく、警察官にならなくては!と突然思ってしまって。
編:ご両親は納得されたんですか??
河:母は泣いてましたね。音大を目指すまでにはかなりの教育投資をしてきていましたから。そんな両親にに申し訳ないと思いつつも、私の心はもう音大にはなくて、警察官になる!と思いましたから、その覚悟は相当だったのだと思います。
編:いつご両親には話されたんですか?
河;音大の受験日よりも公務員試験の方が先だったんですよ。音大に入学願書は出したのですが。それよりも先に公務員試験に合格したので、その時に両親には打ち明けました。
編:では当時は、第一志望に合格して嬉しい気持ちで一杯だったのですね。
河:はい!(笑) ただね、なってみてわかった現実もありました。当時、女性は警察官にはなれなかったんです。
交通巡視員時代の同僚と
男女平等とは程遠かった現実
編:公務員試験に合格してるのに??
河;そう。当時の愛媛県はまだなれなかった。女性警察官になるというシステムが無かったんです。だから女性は全員、巡視員という立場になります。警察学校に通わせてもらえませんでした。
編:職務内容は警察官と同じですか?
河:高校卒業後に配属されたのは愛媛県の松山東警察署の交通課でした。交通指導や交通安全のための巡視員になります。学校での安全指導もやりました。刑事課とか生活安全課とかで活躍する機会はありませんでした。
編:それ以外の選択肢は無かった?
河:無い無い。今考えるとおかしいけど、当時は受け入れるしかなかった。男女雇用機会均等法なんてあっても無いようなものなのだなと思いました。もっとも私の数年後には婦人警官になれるシステムが愛媛県警にも導入されて、それ以降は婦人警官が生まれました。
編:それ以前に就職した女性の巡視員は婦人警官になれたんですか?
河:なれなかったですね。私は巡視員のままでしたのでいいなあと思っていました。なぜこんなに男女で立場が違うのかを納得できる説明をしてくれる人はいませんでしたし、私自身も答えが見いだせないまま警察での職務を遂行していました。ですからあとから入ってくる後輩が警察官に慣れているのを見て、女性が男性と同じ立場で業務を行う時代が来たのだと嬉しく感じました。私自身は巡視員を5年務めた後、結婚を機に退職いたしました。
編:交番で一目ぼれした、運命の人ですか?
河:あー。残念ながら交番で一目ぼれした方とは違う方です(笑)
結婚、事業家としての才覚を発揮
編:そうなんですかー。旦那さんは警察官だったんですか?
河:主人は中古車販売業を営んでいる人でしたので、その仕事のお手伝いや、経理・庶務を担当していました。
編:警察にいた時とは全然仕事が変わりましたね。
河:そうですね。もともと好奇心は強いので、新しい状況にも柔軟に対応できる性格ではありました。
編:ペット関係のお仕事もされたんですよね?
河:そうそう。それはね、私の個人的な趣味が高じたものでしてね。プードルが大好きなんですよ。
編:今でもすごく人気がありますよね。
河:そうそう。値段も高いし、愛媛ではなかなか手に入らなかったんです。当時はティーカッププードルが流行し始めたころだったのですが、欲しい方はたくさんいるのになかなか手に入らないという時代でした。
だったら私が届けよう!と思って。
編:そこにニーズがあると睨んだんですね。
河:プードルを飼い始めた方にと思って、プードル専用のペットサロン事業も開始しました。
編:スゴい!
河:プードルはとても繊細な品種です。プードル犬独特の性格や毛の特徴などをケアできるように、専門のトリマーがいるトリミングサロンを開設しました。そこから長年にわたり様々なご縁をいただいて、最終的にはペットサプリメントの企画開発や、ペット用品の商品開発なども手掛けることができたんです。一番覚えているのはある有名な輸入車のブランドでペット用品を作らせていただいたことですね。
編:女性実業家ですね。
河:そうですね、当時はブームに乗っていたので大変忙しく、事業は拡大していきました。子どもも生まれて、家事育児と仕事の両立はとても大変でした。
編:ご主人は手伝ってくれましたか?
河:はい。ただどうしてもこの部分の負担は女性が大きいですよね。それは当時も感じていました。結婚から15年を経たころ、色々話し合って主人とは離婚することにしました。
インタビュー:NORIKO 撮影:株式会社グランツ
(2日目に続く)
動画を見る
◆河端ゆきみ氏 プロフィール
株式会社ホンマルブロードキャスティング 常務取締役
ホンマルラジオ渋谷恵比寿局 公式サイト https://honmaru-radio.com/category/honmarushibuyaebisu/
1974年1月4日 愛媛県松山市生
1992年 愛媛県立東温高等学校卒業
愛媛県松山東警察署にて交通巡視員として勤務(交通巡視員とは)
1995年 4月 愛媛県松山南警察署へ移動
1997年 3月 結婚の為退職
2009年 1月 起業プードル専門トリミングサロン経営
2014年 7月 離婚 フリーランスとして様々な新事業を手掛ける
2015年 11月19日 ホンマルラジオ 開局 初代パーソナリティ就任
2018年 4月 ホンマルラジオ渋谷恵比寿局 代表就任
2019年 10月 株式会社ホンマルブロードキャスティング 常務取締役就任