2013年、スゴい人でインタビューしてから7年、さらに活躍のフィールドを広げている書道家、アーティスト武田双雲樣に、2回目のインタビューに伺いました。前回のインタビュー(病気直後のインタビューでした!)を踏まえ、ご病気からの復活、そして現在「双雲塾」を開くまで(DAY1)、双雲塾、話題のニャントラまで(DAY2)人生哲学をユーモアたっぷりに、お話くださいました!
感謝!
*20代は人生なーんにもうまく行ってない
*時代が武田双雲を作った
*病気と向き合って
編集部(以下、編):2013年に取材させていただいてから、7年の月日が経ち、今やすっかり書道界の重鎮となられました。
武田双雲さん(以下、双):いやいや、そんな事はないですよ。何でも自由に聞いてください。
編:多くのメディアでお話されているので、繰り返しとなるかもしれず恐縮ですが、
前回インタビュー時のご病気の前後ぐらいからのお話をお伺いできればと思っております。
双:僕ね、インタビューは20年くらいやっていますが、なぜか好きなんですよね。聞かれるのも、聞くのも好きですね。禅問答みたいじゃないですか。実をいうと僕はもともと人間に全然興味がなかったんです。中高も全く友達もいないし、イジメもあったし。全くいい思い出なんかありません。人間より量子力学とか宇宙論とか物理学とかすごく大きなビジョンのものに興味がありました。大学時代は、枠にはめられることがなく自由だったので、楽しかったですが、卒業後にNTTに就職して2年半、仕事は全然うまくいかないし、上司に怒られるし、褒められた事はほぼなかったですね。
編:NTTに勤めていた時の営業のルーティーンとかは窮屈ではなかったんですか?
双:今思うと窮屈でしたね、通勤電車のドアが閉まると恐怖で下痢になる。会社に着くとグッタリですね。でも今の妻がちょうど恋人になった時だったので、そのことでワクワクできたのでネガティブにならずにすみましたね。
編:じゃあ奥様は恩人ですね。
双:そうですね。NTTで、営業マンとして働いているうちに、少しずつ人の心に興味を持ちはじめました。社会とか、会社って何だろうとか、知らないことがいっぱいあったので、本を読んで人間社会とか人間心理学とかを色々知って、人の心を癒したい、元気付けたいとか思いはじたんです。それまで人生では一つもうまく行ったことがないです。たまたま路上パフォーマンスをしていたら感動して泣いてくれる女の子がいて、「元気もらいました」。なんて言われたところから始まって、どうしたらこの子だけではなく、世界中を元気にできるんだろうと考え始めたんです。とにかくわかんないまんまやれる事全部やってみようと思って。でも僕やれる事は書道しかないので、何かオファーがあったら楽しみながら全力でやるというところから始めました。
編:20代でそこに到達できるって大きな強みですよね
双:それしかなかったからですね。その頃SNSができて誰でも発信できるようになったんです。ホームページ書いたり、メルマガ出したり、ブログも。自分ができる事を色々発信していたら、メディアと繋がったわけです。
古典的な書道から書道アートへ。その作品は示唆に富む。
編:時代が追いついてきたって事ですね。
双:そうですね、時代に乗った感じはあるかもしれません。どうしたら生徒さんたちが喜ぶだろうと思い、子供たちを笑わせたり、子供達に求められて色々な授業をしたりして、その事をメルマガに書いていただけなんです。たまたまある出版社の方がそれを見て、面白いから本にしてみませんかという話になりました。また、これもたまたまその本を見たテレビのプロデューサーさんに「世界一受けたい授業」で番組にしてみませんか?」と言われるままやってみたところ視聴率が一番良かったなんて事もありました。そこからバンキシャのご意見番に出たり、子供番組のコメンテーター、パフォーマー、デザイナーとしてとか、とにかくオファーがあれば何でもとりあえずやってみました。思えばずっと流されてきた人生、全く自分で決めてない。今でも「いきあたりバッチリ」の人生です。全く決めずに流れに反応して生きていますね。
編:時代が「武田双雲」を作ったみたいな感じですかね。
双:そうですね、かなりクラゲ的な(笑)。目的もやり方も決めてないし、自分から具体的にやりたい事もなかった。世界中の人の心を動かすことしか興味がなかったので、自分が何者かって事も気にならないんです。だから今でも時々自分が武田双雲であることも忘れるほどです。2007年ぐらいからから色々なメディアからオファーが来はじめて、その後、露出も多くなりました。そうすると、批判も多くなってきたんですよね。その時は精神的にやられていましたよね。もともと気が小さいタイプで怒られたらしゅんとしちゃうタイプ、何くそ根性がないタイプです。僕なんか…ってなるんです。
新作も続々と制作中
編:作用、反作用というかそういうのってつきものですよね。
双:そんな時に教室の生徒さんたちに救われた事は大きいですね。「先生そんなこと気にしてるの!先生そんなタイプじゃないじゃん!」と老若男女、300人ぐらいいる生徒さん達がレッスンに来て励ましてくれました。またその頃、家族も増えましたからそれも救いになりました。それからしばらくして、多忙のせいか、ストレスのせいか、理由はわからないけど、胆石になりまして、2011年終わりごろに胆石で入院しました。もともと胆嚢は油を取った時に胆汁を「ビッ!」って出すところなんですよ。普段から脂っこいもの、ラーメンとか唐揚げとか食べるとその濃い液体、胆嚢から「胆汁」を出すんです。いわゆる油分解酵素なんです。胆嚢の動きが悪くなって固まって石になる、これが大きくなって腫れて炎症起こしてそれが激痛となったわけです。その痛みたるや、出産より痛いといわれるほど。痛み、危険度マックス、地獄の痛みな訳です。のたうち回り頭とかぶつけて怪我をして血とか出るんですけどその怪我の痛みより腹の方が痛い。でもその腹の痛みは30分ぐらいで突然すっと消えるんです
編:えー!ご家族は心配されたんじゃないですか?
双:それはもちろん、みんな心配して両親も駆けつけてくれました。そんな状態だったある時、ものすごい痛みで病院へ行きました。胆汁が出ないから目まで真っ黄色でね(笑)、その激痛で夜中に行った病院のお医者さん達のかっこいいこと(笑)!女性と男性の先生達で24時間ERみたいなかっこいいジャンパー着て「武田さん、痛みの原因がわかったんで安心してください!」って、涙が出ちゃいましたね。すごくかっこよかった。
編:胆石って男の人に多いんですか?
双:実は50代の女の人に多い病気らしくて。婦人病っていわれるくらいらしいんです(笑)。主に揚げ物、唐揚げやフレンチフライなどの、揚げ物の油が良くないそうです。僕の場合は胆石を取るときに胆嚢も取ってしまったので、先生に油を取りすぎないようにと注意されたんですね。そうしたら油自体を摂取するのが怖くなっちゃったんです。だから逆に全く油を取らない食生活になりました。お味噌汁、アオサ、ワカメ、などが中心の食事でほぼ油はゼロ。まるで仙人みたいな食事にしました(笑)。肉もササミだけ、魚もサーモンは食べないみたいな。そうすると今度は油を取らなさすぎて、体の免疫力がおかしくなりました。結膜炎とか、胃腸炎とか炎症だらけになっちゃって。食事が偏よると、体調が悪くなる。それが原因でメンタルも弱まったりして。いろいろなことが悪循環になりました。2013年の初め頃ぐらいまでは体調を崩していました。そこから少しずつ、その病気を乗り超えることで元気になったので、心身の健康には今まで以上に気を遣うようになったし、今の幸福に感謝して、自分の周りのすべての事象に感謝しようと思うようになりました。いわゆる「感謝オタク」になりましたね。
編:そのちょっとずつ良くなってきた所に、前回の「日刊スゴい人」のインタビューをさせていただいたわけですね。
双:そうです、実はその直前は「日刊イタイ人」でしたね(笑)あちこちが痛んでた(笑)
インタビュー:NORIKO ライター:NOZOMI 撮影:株式会社グランツ
Day2につづく
◆個展情報 https://souun.net/category/news/
武田双雲展~夢叶う~
場所:伊勢丹新宿店 本館6階 催物場にて
会期:2020年12月16日(水)~12月22日(火)
(初日16日と最終日22日は18時終了)
◆武田双雲(たけだ そううん)
公式サイト:https://souun.net/
書道家。現代アーティスト
1975年、熊本県生まれ。東京理科大学理工学部卒業。
3歳より書家である母・武田双葉に師事し、書の道を歩む。大学卒業後、NTT入社。約3年間の勤務を経て書道家として独立。音楽家、彫刻家などさまざまなアーティストとのコラボレーション、斬新な個展など、独自の創作活動で注目を集める。
映画「春の雪」、「北の零年」、NHK大河ドラマ「天地人」をはじめ、世界遺産「平泉」、
スーパーコンピュータ「京」、「美空ひばり」など、数多くの題字、ロゴを手がける。