優しく温かみのあるタッチと骨太な物語で多くの読者の支持を集めるスゴい漫画家! DAY1

本日のスゴい人は、漫画家、石川サブロウ先生。1976年、週刊少年ジャンプ(集英社)でデビュー以降、優しく温かみのあるタッチと骨太な物語で多くの読者の支持を集めてきた。近年では仲間の漫画家たちと「ぽけまん」というグループを作り、チャリティ等様々な活動も行っている。1日目の今日は、少年時代からデビューするまでのお話を追う。

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山や海を飛び歩いていた少年時代

──早速ですが、北海道でどんな少年期を送られていましたか?

石川サブロウ:う〜ん、もう、大体家にはいないで、外でばっかり遊び回ってる子供でした。で、帰ってきたら漫画読んだり、テレビ見たりして、もう早々に寝てましたね。

 

──当時読まれてた作品というと…

石川:小学生の時だからね、藤子さんの『オバQ※1、石ノ森さんの『0092が始まったくらいかな。友達と借りっこしてね。

※1:藤子不二雄『オバケのQ太郎』、※2:石ノ森章太郎『サイボーグ009 

 

──いつからご自分で描こう!と思い立ったんでしょう。

石川:小6くらいかね、いたずら書き。読んだ漫画のキャラクターの写し描きだよね。『鉄腕アトム』ですとか、ちばさん3の『ちかいの魔球』とか。そういう落書き仲間みたいのがいたのかな。遊びながらやってるんだけど、やっぱり一番うまいって褒められてね。

※3:ちばてつや。代表作に『紫電改のタカ』『あしたのジョー』『おれは鉄兵』など。 

 

──そこから漫画の世界へどっぷりとハマっていく…?

石川:あー、オレ、外、飛び歩いてたからね。これが良かったのかもしれないけど、感性っていうか、イメージっていうか…やっぱりこう、頭の中で考えるんじゃなくて、小さい頃に体で体験した事が今活きている、みたいな事がありますよね。海に飛び込んで中から見た外の光だとか、山に入っていって木の実を採ったその瞬間の木漏れ日だとかさ、そういうのが映像として残ってたり。家の中だけに閉じこもっていたら、ねえ、中々そういうイメージって残らないし、できないでしょう。もとか※4にしたって、小さい頃はただもう外ばっかり飛び歩いてたって。意外と漫画家って、活発に遊んでて、みたいな人が多いのかもしれないね。

※4:村上もとか。代表作に『六三四の剣』『龍-RON-』『JIN--』など。石川サブロウと親交が深く、後に「ぽけまん」を興す。

 

──意外ですね。で、漫画の模写をたまにしていて、いつからか漫画を描くことになると。

石川:そうですね、コマを割った※5のは中学1年か2年の頃。ただ、情報がなんにもないからさ。

※5:漫画を描くために、一つ一つの絵・シーンをどのように配置するか決めること。

 

──漫画の描き方、的なことですね?

石川:うん、だから本一冊買ってさ。秋田書店の『マンガのかきかた』っていう。それ見てもね、例えば「原稿」って言葉があるでしょ。原稿っていう単語以外、漫画を何に描くか、なんて書いてない。だから「原稿用紙」のことだと思ってさ。あの字を書く…(笑)

 

──作文用紙ですよね(笑)

石川:普通、画用紙とかさ、ケント紙に描くはずなのに、原稿用紙に漫画描くという。 

 

──情報が無さすぎて。

石川:無さすぎて、ちょっと困ったよね。ペンだって何を使っていいか分かんないし。

 

 

 

 

 

 

──普段の生活でGペンだ、カブラペンだって言わないですもんね。

石川:そうそう。で『石ノ森章太郎のマンガ家入門』が出て、初めて「あっ、そっか、こういう道具なのね」ってわかってね。あとストーリーの作り方っていうかね、物語の立て方、ネーム※6の描き方、そういうのが書いてあって。

※6:絵の構図やキャラクターのセリフ、「コマ割り」も含めた、漫画を書く際の設計図のようなもの。ラフ。

 

──それを見ながらオリジナルに取り組んでいかれると。多分まぁ漫画好きな子供って、僕も経験あるんですけど「1回自分で描いてみよう」って思うじゃないですか。で、最後まで描ききらないんですよね、大体。途中までで終わっちゃう。

石川:絵はね、最後まで描いたんだけど、話がやっぱり最後まで描けないのさ、オレたちも。やっぱり3ページ位描いて、詰まっちゃう。頭ん中では出来上がってるんだけど、なんかね、飽きちゃったり、途中でつまんなくなったり。だからネームを最後まで描かないとやっぱり中々ね、描き辛いもんだなって。

 

──最後まで描かれたのって?

石川:投稿する時ぐらいですね。オレね、中2にの時に、一番最初に描いた漫画投稿してるんだ。賞に応募とかじゃなくってね、ただ勝手に送っただけ。そしたらたまたま読んだサンデー※7の編集者が、感想と原稿をちゃんと送り返してくれてね。

※7:週刊少年サンデー(小学館)

 

──ここは良い、とか、ここはこうしたら、とか?

石川:うん、というか「漫画家になるためにはどうしたら良いでしょう」っていうさ、そんなような手紙を同封してたんだけど、ちゃんと返してくれた。

 

──ものすごい丁寧な編集の方ですよね。

石川:そうだね。オレが漫画家になった時にはもうその人はとっくに定年で辞めちゃってて。

 

──どんな内容の漫画だったんですか?

石川:『ラットマン』っていうね、多分ね、アレに影響されて描いたと思うんだよね。なんだっけ、ホラ、ジョージ秋山の…

 

──『パットマンX』ですか? じゃあちょっとギャグっぽい、ズッコケヒーローみたいな

石川:うん、そうそう。

 

──まだ原稿とかってあるんですか?

石川:どっかで見たような気がするんだけど、忘れた(笑)

 

──それはちょっといずれ読んでみたいです(笑)。で、漫画の世界に初めてこっちから触りに行って、原稿見ていただいて、それで、なんかやれそう、という気持ちになっていくんでしょうか。

石川:いや、その時はもう完全に趣味だから。あくまでも。まったく考えていなかったよね。

 

人生2作目の作品でデビュー

──漫画の道へ進むきっかけがくるのはどこなんでしょう。

石川:18で学校卒業して、会社で上司と揉めて辞めちゃうんだよね(笑)この際だから漫画だろうってのがきっかけですよね。

 

──その辺りは『北の土竜』※8の最初の頃のエピソードの感じで…

石川:う〜ん、あれはまた違う、別の友だちがいてね。画家志望のそいつと一緒に会社辞めたんですね。

※8:1981年〜1985年「週刊ヤングジャンプ」(集英社)掲載。札幌の印刷工・堂本繁は、ある事がきっかけで絵画の世界へと踏み出していく。

 

──堂本(主人公)にはモデルがいらっしゃったんですか!?

石川:前半ぐらいまでは本当の話なので。大体、ほぼ。ヤツもああいう性格で、引きこもりで。

 

 

 

 

 

 

『北の土竜』主人公の友人・石山くん。漫画家を目指す彼は、自身がモデル。

──画家を目指されて?

石川:そうそうそう。ああいう画家たちに良いように利用されたりとかね。

 

──「あそこまでお人好しな人がいるのか!?」って感じですけど。じゃあ就職されて、まぁ色々あって、飛び出してから「あっ漫画やろう!」となったと。それまでも描かれてはいたんですか?

石川:うん、それまではだから趣味だよね。他の遊びの方がやっぱり優先だったから。友達とキャンプ行っちゃったりさ。なかなかね。描いているよりそっちの方が楽しかった。

 

──じゃあ作品を描きあげて、投稿されたりとかは…

石川:ない。もう東京出てきてからだね。せっかくね、こういう状況だから、好きなことを1回試そうって。

 

──上京にあたってはツテとかあったんですか?

石川:会社辞める前に1回、友達が東京に行くって時に、オレもついてったんだよね。漫画の原稿も持って。アシスタントになりたいと思って。

 

──まずは。

石川:まずは。ダメ元で。だからちばさんの所も門を叩いて、締切間際で会えなくて。藤子さんの所も行ったけど誰もいなくて。記念にって気持ちもあって、色んな所に電話したの。ジョージさんの所とか。色々したけど、ちゃんと通じたのが永井さんで。今いるからおいでって言われて。完成した原稿は一つもないんだけど、絵を見て「うん、もう、すぐおいで」って言われて。それで家には「漫画の仕事が決まった」って電話してね。それも出てくるきっかけだった。

 

──永井豪先生のアシスタントだったんですね!

石川:それがね、1週間で辞めちゃうんだよ(笑)逃げ出したわけじゃないんだけどね。漫画家志望の友達と一緒に上京したんだけど、そいつも引きこもりでね。「お前が仕事に出かけちゃうと、一人で辛くなっちゃうから、もう辞めてくれ」ってせがまれて。で、もう永井さんには悪いなって思いながら辞めちゃった。で、その友達、オレが永井さんとこ辞めた途端に、北海道帰っちゃった(笑)辞めさせといて勝手なもんで。

 

──じゃあ漫画は諦めて北海道へ帰りますっていう。

石川:そうそうそう。それは無ぇべっていう。オレは何のために辞めたんだよって(笑)それからプラプラプラプラ半年くらいして、で、これじゃまずいなと。

 

──『ボクの漫友記』※9にも描いてありますけど、ずっとパチンコを…

石川:まずいと。何のためにオレは東京に出てきたんだと。思い直して描いたね。最後まで描いた漫画、これが2本目だったんだけど。それを少年ジャンプに持ち込んでいって。

※9:自身の漫画家人生を振り返りつつ、友人漫画家との交流などを語る描き下ろし作品。http://pokeman.jp/archives/4142

 

──1本目が中学生の時で、2本目がそこなんですか!

石川:なんか描いたかもしれないけどね。描いたかもしれないけど、ほんとポエムみたいなやつでね。だからちゃんとした漫画は2本目だったと思う。最後まで描いたのは(笑)

 

 

 

 

 

 

 

──それが『漫画エレジー』10

石川:うん。月例賞に出すから預かるよ、と担当に言われて。それともう一つ途中まで描いてたのがあっだんだけど、こっちも面白そうだから最後まで描いてよ、ってなって、手塚賞にだそうね、と。だから両方とも載ったんだけど。

10:『ボクの漫友記』第1章にて、冒頭のみ閲覧可能。

 

──すごいですね、それでもう急に決まっちゃう。

石川:で、もとかと竜崎11を紹介されて、みたいな感じだよね。あとは『漫友記』そのままだから。

11:竜崎遼児。代表作に『どぐされ球団』『闘翔ボーイ』『雷電王』など。石川サブロウと親交が深く、後に「ぽけまん」を興す。

 

 

 

 

 

 

──詳しくはインタビューの中にリンク貼りますけど(笑)

取材・記事構成:鷲谷祐也

プロフィール:

1974年『立ち読み厳禁』が第7回手塚賞佳作となり、同作品で「週刊少年ジャンプ」(集英社)でデビュー。

1978年『警察犬物語』で初連載後、『北の土龍』『蒼き炎』で画家の世界を連載漫画で描くという試みが好評となり、ヒット作となる。

2005年より「ビジネスジャンプ」(集英社)にて連載した、タレント・島田洋七の自伝的小説を漫画化した『がばい-佐賀のがばいばあちゃん-』が大ヒット。

2010年「ビッグコミック(小学館)」誌に、同名ベストセラー小説を漫画化した『神様のカルテ』を執筆。

執筆活動の傍ら、交流のある漫画家たちを巻き込み、漫画家グループ「ぽけまん」を発足。単行本未収録作品の無料公開サイトを運営するNPO法人として出発、イベント参加、タイアップ企画、チャリティ等、様々な活動を行う。

2017年、更に活動の幅を広げるため、「漫画だからできる事」「漫画家だからできる事」を理念に、株式会社化。原画の保存を目的とした複製原画の制作販売をスタートさせた。

石川サブロウ (@saburou_3265) | Twitter

「ぽけまん」公式サイト:http://pokeman.jp/

複製画販売サイト:https://chara-art.com/?mode=grp&gid=2446926&sort=n

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