中内会長からの直電!
ローソンを再建させる
ビジネスを成功させる秘訣!
今では全国各地にあるコンビニエンス・ストア・ローソン。
ヨーカドーがセブンイレブンをスタートし出遅れたダイエーが展開したLAWSON。
初代の社長は40店舗展開し引退、2代目社長も同様に40店舗展開し引退。
80店舗になった段階でLAWSONの運命を託されたスゴい人が今日登場する。
在籍中に80店舗から3000店舗まで増やし見事LAWSONを復活させた男である。
彼は如何にして再生させたのだろうか。そして、いま彼が手がけているものは?
ビジネスを構築する上で大切なことを教えていただこう。
さあ…
元ローソン・ジャパン社長/全日本農商工連携推進協議会 会長
都築 冨士男様の登場です!
アルバイト尽くしの学生生活で決めた就職先は!?
実家は農家で友だちが遊んでいる時も畑仕事を手伝ったり、山にゼンマイを取りに行っていました。近所の吉野川でうなぎを取って食べたり、魚屋さんに持っていくと良いお小遣いにもなりました(笑
中学まで高知で高校に入学するタイミングで実家が香川県の丸亀市に引っ越して田んぼを買って稲作をしていました。
大学の学費を稼ぐためにスーパーでアルバイトをし、朝は青果市場に仕入れに行き昼はレジに入りバイト尽くしの学生生活でした。授業にもあまり出席していなかったので大手は採用してもらえないだろうと。小さい会社でも伸びそうな会社のほうが面白いはずだ!と選んだ会社が「主婦の店ダイエー」でした。まだ10店舗程度しかなく新卒1期生は近畿地区だけの採用でしたが私の2期生から全国採用となった時期でしたね。
10年間主に食料品の仕入れをしていました。
アメリカへ赴任しビジネスに大切なことを学ぶ
あるときはブラジルやコロンビアにコーヒーを買い付けに行き、瓶、ラベルなど全て自ら調達&プロデュースして納品した事もありました。
当時、原材料の調達から加工販売まで一貫して作り上げた事は珍しかったです。
食糧管理法が変わりお米をスーパーでも取り扱えるようになったので新ブランドを作り全国で販売する仕組みも構築。
ダイエーがアメリカの会社と合弁会社を作り、ディスカウントカタログショールームという小売業をスタートし相手方とトラブルが発生!
急遽日本から誰かが飛ぶ必要になり、私が任命されたのです。
アメリカに2年ほど生活したのがスゴく勉強になりました。
ユダヤ人が経営しているスーパーが他店に比べてもの凄く安いのです。その理由はレジを済ますと必ず宝石売り場を通るのです。このスーパーはダイヤを仕入れるルートを持っており、更には自社の加工工場も所有し販売していたのです。ダイヤモンドの売上がお店全体の1/3もあり利益率も高いので他の商品に関してはほぼゼロでも経営が成り立ってしまうのです。
仕組みを作らないと資金力がある所が最終的に勝つしかなくなるのでビジネスで大切な事は仕組みづくりだと学びました。
中内会長からの直電!
ダイエーはシカゴ郊外で数百店舗展開していたローソンミンクス社と提携し他社に出遅れ日本でコンビニエンスストア業態を始めました。
初代社長はダイエーの本部長が任命されましたのですが2年間で40店舗作り、加盟店の不良債権などのトラブルが発生し辞められました。その後、ダイエー役員が代表に就任したのですが同じように40店舗作り更に問題が大きくなり加盟店が全国にオーナー会を作り本部に押しかけてくる迄になっていました。
オーナーの中内がローソン役員とダイエー役員を集め第1回ローソン委員会が開かれたのです。「このまま行くと社会問題となりローソン事業はダイエーのアキレス腱となる!事業を一旦停止しろ!」という指示の後、直接アメリカにいた私に「至急、日本に帰国してローソンの清算も含め方向付けをして欲しい」と電話が入りました。
ローソンを再建させる
37歳で日本に帰国しローソンの現状を把握すると2つの問題点を発見しました。
当時は店舗面積も現在の倍ぐらいあり設備投資にも莫大なお金がかかりお店を持つには加盟店さんが多額の借金をしていたのです。この投資が大きすぎるのが1つの問題点。もう1つは収益性が非常に悪かったのです。その為、商品供給型ではなく経営指導型のフランチャイズシステムを構築しました。70坪の店舗を30坪に縮小し、商品を毎日配送し売れた分だけの発注を頂き無駄な在庫をバックヤードに置かない。これにより品揃えを落とさずに収益性を高く出来ました。ローソンは元々揚げてないコロッケを販売していたのですが店舗にフライヤーを導入し揚げたてのコロッケを売った所、人気商品になりました。
これをきっかけに看板商品である「からあげクン」という商品が出来上がりました。
毎週日曜日はオーナー会議に出席し、現状説明と改善提案をオーナーさんにして行きました。再建は3年で終わりその後、店舗数は順調に伸びてゆきました。
農家への恩返し
独立した当初はメーカーさんを集めた勉強会からスタート。
ある時、農家さんから相談事を頂き次第に農家さんと多く接する機会が増え行きました。
農家さんの悩みを知れば知るほど農家さんへ何か恩返しが出来ないかと自分に出来ることを探し、自費で日本の代表する農家さんに読んでもらう雑誌「農業応援隊」を5年前に発行しました。当初は飛行機代、レンタカー代と取材費用が非常に嵩んだのですが仕組みづくりが得意なので現在は全国に100人ぐらいのライター体制を作り安定しました。
日本の農家は2010年から5年で農業就業者が261万人から209万人に減っています。
日本の人口は減る一方なのでグローバルGAPを取得し海外に輸出するにおいての安全性を確保する事が重要になります。同時に輸入品を国産品に変え地産地消の徹底も必要です。
棚田農家さんは非常に苦しんでいるのでアサヒビールさんが持っている水分が多い土地でも育つサツマイモの技術特許を元にヤンマーさんに指導してもらっています。
収穫したサツマイモを干し芋にすれば棚田農家さんの収入は2倍になるはずなのです。
林業も同様に枝打ちが出来ないので地面に日光が届かず根も弱くなり保水力が無くなり土砂崩れになります。どう活性化するかは割り箸を全自動で作れる機械があれば解決します。98%は輸入割り箸です。防カビ剤や漂白剤が使われ決して安全でもありません。1円で販売出来る割り箸を作るには全自動機械が必要になります。
その後、落葉樹を植えることで山は蘇るはずです。
ビジネスを成功させる秘訣!
課題を見つけて解決する仕組みを作ることが何よりも重要になります。
経営者には4つの資質が必要です。1つ目「情報収集力」2つ目「時代を見抜く先見力」
3つ目「意思決定力、実行力」4つ目「リーダーシップ力」。
1つ目と2つ目があれば自然と意思決定力とリーダーシップ力は発揮できたりします。
情報収集力は興味が有ることしか入って来ないのでどれだけ好奇心を強く持てるか!
Noと言ったら思考が止まってしまうので基本的な姿勢はいつもYesで四六時中考える様にしています。そして、経営者は2つの敵を退治しなければなりません。1つ目の敵は「変化」という敵。2つ目の敵は「心の中にある既成概念」です。まだまだ私も世の中に恩返し出来るよう活動量を増やしてゆきます!
取材を終えて
都築社長の多岐にわたるビジネスモデルの構築の話は大変刺激的だった。
農業、林業の話もそうだが障害者雇用に関しても素晴らしいアイデアを持たれていた。
それは都内の企業が地方に住んでいる障害者の方と契約し遠隔派遣するシステム。
例えば長野に住んでいる障害者の方と東京の企業が派遣契約をして近所(長野)の農家へ派遣する仕組みである。この仕組は国も全面的に応援したいそうだ。
興味のある方は是非、形にして頂きたい。
プロフィール
全日本農商工連携推進協議会
http://www.nsk-cc.jp/index.html
スーパーマーケット・ダイエーに入社。 米国勤務を経てローソン再建のために帰国。
当時80店舗しかなかった店舗数を、在籍中3000店舗にまで拡大し、倒産寸前だったローソンを再建。 全国展開の日本を代表するコンビニエンス・チェーンに急成長させる。
その後、上場会社の社長を経て独立。現在は、コンサルティング、企業顧問、講演活動を行っている。また、内閣官房地域活性化伝道師、六次産業化プランナー、全日本農商工連携推進協議会の会長として、中小企業活性化の支援で活動中。全日本農商工連携推進協議会では、農業・農村サポーターズマガジン「農業応援隊」を年4回発行し、日本全国の農業に関わる企業や生産者の情報を広く発信している。
・元ローソン・ジャパン社長
・全日本農商工連携推進協議会 会長
・内閣官房地域活性化伝道師
・六次産業化プランナー
・新潟県農業大学校客員教授