現在、世界各地に5000人以上の社員を擁し、総売上2400億円を越えるエレクトロニクス商社、加賀電子株式会社。
本日は、その創業者のスゴい人が登場する。
1968年、わずか2坪の敷地の事務所で、電子部品の調達から事業をスタートさせた。
出身地・金沢の旧称「加賀国」にちなんで命名された同社は、加賀百万石を思わせる一大企業に発展した。
今なお、創業時の「便利屋」としての姿勢を崩さない、彼の経営理念とは。
さあ…
加賀電子株式会社
代表取締役会長
塚本勲様の登場です!
「怠るな 子どもの手本に 年はなし」
ガキ大将だった子ども時代。
仲間と朝早く登校して席取りしたり、早退しては遊んだりする日々でした。
その頃から人付き合いが好きだったのですね。
成績は割と良い方でしたが、中学を卒業して先に就職していた友人たちが楽しそうに見えて、地元の工業高校を一年で中退し、叔父のつてを頼って上京。電子部品メーカーで工場に勤めました。
その後、18歳で運転免許を取得。そのまま退職して金沢に帰郷しようと上司に相談したら、ちょうど欠員のあった営業職に即時抜擢されました。
常日頃からの付き合いの良さが認められてのことだったのでしょう。
営業職を6年務めた後、1967年に電子部品商社へ転職しましたが、その当時の部下が交通事故に遭い、その処遇などをめぐって上役と意見が対立しました。
経営の不透明さに不満を感じていたこともあり、これを機に独立を決めました。
その翌年1968年2月、同郷である金沢出身の先輩の助けで、秋葉原の2坪の敷地を借りて加賀電子を個人創業しました。
当時から今に至るまで一貫している私の姿勢は「便利屋」です。
お客様のご要望とあれば、どんな頼みごとにも応じてまいりました。
幸いにと申しましょうか、電子部品に関する仕事を一通りこなしたことによる知識と、営業職で培った人脈とがありました。
そのため、たとえば「何かの部品が欲しい」とのご要望があれば、どこでその部品が手に入るか、どうすればより安く買えるか、などを調べ、様々なつてを頼って購入することができました。
国内はもちろん、海外各国へも買い付けに出向きました。
かつての共産圏までも訪れたものです。
お客様に対しても同様に、ご要望の部品や製品が手に入れば、たとえ夜中であってもお届けにあがりました。
より早く、より安く、そしてお客様にご満足頂くには、多少の付加価値をつけて提供することが欠かせません。
企業は人こそがすべてです。
みんなで世の中のためになるようにと頑張れば、その分利益になり、それをみんなで分け合う。
良い働きをしたなら、それをちゃんと評価する。
そのようにして、社員すべてが働きやすい環境づくりに努めております。
また、私が大切にしている言葉は、母がよく話していた「怠るな 子どもの手本に 年はなし」
この言葉の「子ども」を「社員」に置き換えて、私生活においても仕事の上でも常に社員の手本になるように心がけています。
私の、そして我々のモットーは「すべてはお客様のために」
これを、今後の加賀電子を担う世代へ、しっかりと引き継いでまいります。
◆加賀電子株式会社 公式サイト
http://www.taxan.co.jp/jp/