東アフリカ、ケニアの伝統楽器“ニャティティ”の世界初の女性演奏家のスゴい人!

本日登場するスゴい人は、伝統楽器“ニャティティ”の世界初の女性演奏家のスゴい人!
ニャティティは、元は東アフリカ、ケニアのルオ民族の、選ばれた男性だけが演奏することを許された神聖な楽器であった。

8本の弦をもつ弦楽器で、演奏する際には「ガラ」と呼ばれる鉄の鈴と「オドゥオンゴ」と呼ばれる鉄の輪をつけて、ガラを鳴らし、オドゥオンゴ をニャティティの木のへりにあてて、リズムを生み出す。
歌と弦楽器と打楽器の三つの仕事を同時にこなし、演奏する。

2009年7月には、Newsweek誌(日本語版)による「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた。
彼女は日本国内だけでなく、アフリカ、ヨーロッパなどでも広く演奏活動を行っており、現在は日本ケニア文化親善大使として、日本全国各地の 小・中学校で公演も行っている。

さあ…
ニャティティ奏者
Anyango様の登場です!

「いまを生きる」

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件をニューヨーク行きの飛行機の機内アナウンスで知りました。
小さい頃からピアノを習い、バンドをしていて憧れのニューヨークでの音楽修業に夢馳せながら渡米した矢先、失意のまま帰国。
1年半後再びニューヨークへ向かいましたが、イラク戦争の勃発でまたもや失意の塊となって帰国しました。
その上、青春そのものであったバンドのメンバーが辞めたいと言い出し、心にぽっかり穴が空いて、どうしたら良いのか見当もつきませんでした。

そんな時に友人に誘われて行ったライブでケニアの音楽を聴きました。
激しく変化する怒涛のリズム、太鼓の強烈なビートに完全に魅了され、ケニア音楽バンドに加入。
一年後にケニアに行くと、歌いながら演奏できるニャティティに出会いましたが、ニャティティはルオ族の選ばれた男性だけが演奏を許された楽器で、「外国人」で「女性」の私には困難な道のりでした。

ナイロビの先生にアニャンゴという名前をつけてもらい、ニャティティの演奏を許され、毎日手に血豆ができては潰れ、ニャティティの弦を血で真っ赤に染めながら練習をしました。
当代随一の名人を紹介してもらうべくナイロビからバスで10時間、更に徒歩で4時間の村へ行きました。
毎日家に通いながらお願いしましたが断られ、4日目にやっと村に滞在する許可が出ました。
「教えるのはあなたが本当に正しい心の持ち主かどうかを見極めてからだ」と言われ、益々この名人の弟子になりたいという燃えるような気持ちが心の底から湧き上がりました。

やっと稽古をつけてもらえるようになったものの、ルオ語の歌とともにたった1回だけフレーズを弾いてみせ、「後は自分でできるまで練習しなさい」と言われるだけで、苦労しました。
4月から修業を始め、11月に卒業試験を受けて世界で初の女性ニャティティ奏者として師匠やルオの人に認められました。
「あなたは今、正真正銘、世界で初めての女性のニャティティ奏者になった。世界中に出かけて行って、この楽器を奏でてきなさい。私が行けないところまで行ってこの楽器を奏でてきなさい」と言われ、心の底から光栄に感じました。

2016年には、夢だったケニアでのアルバムリリースを予定しています。
アフリカにいる多くのファンの方に、アニャンゴの音楽を聞いてもらえることになり本当にうれしいです。
師匠の言葉のように、世界中の人にニャティティの素晴らしさを伝える活動をしていきます。

◆公式HP
http://anyango.com

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