1996年に、シンガポールのサッカーリーグ“Sリーグ”が設立された。
Sリーグはシンガポール国内のチームだけでなく、日本やブルネイ、マレーシアなどアジア各国の13のチームが参加する世界でも珍しい多国籍リーグだ。
その中で、日本のクラブチームを率いるスゴい人が本日登場する。
彼がクラブチームのCEOに就任してから売上げが4倍になり、赤字だったクラブ経営が黒字にV字回復。
観客動員数は全13クラブのうち2位になり、観客の70%は日本人以外で、現地で暮らすサポーターに支えられるクラブに成長した。
彼はその後、カンボジア・プノンペン、スペイン・バルセロナにクラブチームを発足させ、現在は3カ国のクラブチームの運営を行っている。
彼がサッカー界で成し遂げたいこととは?
さあ・・・アルビレックス新潟シンガポールCEO 是永大輔様の登場です!
「未来予想図」
20歳になったある日、ふと思い立って、10年後、つまり30歳の最高の自分を100個、箇条書きで書いたんです。
自分の中では未来予想図と言っています。
海外で働いている、
日本と海外を往復する仕事をしている、バルセロナで仕事をしている、海外に住んでいる、などなど。
それまで海外に行ったことすらなかったのに、です。
特にそれに向けて大いに努力をした記憶は無いんですが、今になって見返してみると、ほとんど叶っていますね。
紙にかけば勝手にその方向に進んでいく、不思議な現象です。
そのときにクラブチームの社長になっているとも書いたのですが、当時30歳でサッカークラブの社長やっている人なんかいなかった。
けれど、僕がシンガポールに来たのは29歳のときですからね。
本当に不思議で仕方ありません。
大学を卒業したのは2002年。
日韓ワールドカップを全試合リアルタイムで観たかったので、大学を卒業後に携帯メディア系の会社にアルバイトとして入社しました。
自分のホームページに載せていたような記事が実際にサービスになって、しかも、給料までくれる。
何て幸せなんだ、とずーっと会社に入り浸りでした。
ワールドカップ景気を追い風に実績も残せたので、その流れで海外に取材に行くようになりました。
1年のうち3分の1は世界各地であらゆるレベルのサッカーの取材。天国のような暮らしでしたね。
そんなときに会社が買収されることになり、取材と称して気軽に海外に行けなくなりそうな雰囲気が出て、じゃあ、海外、しかも大好きなバルセロナの仕事を作ろうと考えて、FCバルセロナにオフィシャル携帯サイトの提案をしました。
ほぼ飛び込みだったのですが、日本での実績を認めてくれて受注できたんですね。
その後、マンチェスター・ユナイテッドもリバプールも同様の方法で進めることができました。
その後、雑誌を出したりCDを出したり、通販やったり、広告やったり。
サッカービジネスである程度の経験ができたタイミングで、アルビレックス新潟のシンガポールの社長を探しているという話が降って湧いて来たので、手を上げたんです。
今はシンガポール、プノンペン、バルセロナでサッカーチームの運営をしていますが、そんな人はサッカー界にはいません。
世界で探してもいません。
20歳の時に掲げた未来予想図の中にサッカー界の伝説になるということを書いたので、不思議とそれに向けて進んで行くんだろう、と思っています。
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※一部携帯では見られない可能性があります。