2012年、ISCA主催のカリカチュア世界大会で総合優勝を果たし、“カリカチュア”という分野で世界一になったスゴい人が本日登場する。
カリカチュアは誇張似顔絵とも言われ、人物の外見的特徴と内面の個性をユーモラスに描きより一層その特徴を引き立たせる似顔絵の分野のことである。
最近では笑っていいともの「イタズラ心のある似顔絵コンテスト」において2連覇を果たし、彼の実力は広く一般にも知られ始めている。
カリカチュア世界大会において世界一になるまでには、実に、8年もの時間を要したという。
10年前にカリカチュアを始めた時から世界一を意識はしていたが、称号を手にするまでにはいくつもの壁が立ちはだかっていた。
壁を乗り越えるために、彼は意を決してある行動をとった。
その行動とは?
さあ・・・株式会社ドローイングスタジオ・マネージメント代表取締役社長兼代表アーティスト 渡辺孝行様の登場です!
「人のありがたみを感じることで得た絵の成長」
絵をはじめたのは、高校生の時から。
それまでスポーツにのめり込んでいたが辞めてしまい、無気力状態になっていた。
美術の先生に絵をすすめられ、何となく始めてみたが、絵を描いている時はなぜか心が安らいだ。
もともと、父が家に買ってくるぴあやビッグコミックの表紙が、とても好きだった。
有名人の顔の特徴をとらえて面白く描いている絵だった。
いつか、自分も表紙の絵を描きたいと強く思うようになった。
大好きだったセバスチャン・クルーガーというドイツ人のアーティストに少しでも近づくため、まずカリカチュアで日本を代表する人に師事した。
日本を代表する会社でトップの成績を収め、その後、世界大会に挑戦した。
大会には300人ほどのアーティストが参加。
初出場で、世界12位を記録した。
ここまでは順調だった。
それから毎年挑戦を続けたが、順位がなかなか伸びなかった。
それどころか、ある年はカクンと順位が落ちてしまった。
誰かに頼っているこの状態では永遠に自分はこのままだと考えた。
会社においてナンバー2という立場で普段からトップの立場として、主導的に、そして自由にやらせてもらっていたが、いつしかそのことに甘えているような気がしていた。
「このままでは会社にとっても自分にとっても良くない。」と考え、厳しい道である「独立」という道を歩むことを決意した。
しかし、やはりここからが大変だった。
全く売り上げが立たない日々が続いた。
ある程度は予想していたが、こんなにも稼げなく、食べられない日が続くと思わなかった。
そのため、夜中から朝の5時までアルバイトをして、2時間だけ寝てからまた仕事を探しに出かけるという生活を続けた。
今から思い返すと、この時期があったおかげで今の自分があると思う。
お金をいただくことのありがたさが身にしみてわかり、人に感謝する心が育った。
その事が、作風に大きく影響していった。
仕事を依頼されたお客さんに最大限に喜んでもらうため、相手のことをより深く知ろうとする姿勢にも繋がったし、そのおかげで一つ一つの作品そのものへの思い入れも強くなり、自然とお客様の反応もよくなり、仕事はどんどん広がっていった。
それから、大きな取引先も徐々に増えていき、そういった事から大きなエネルギーをいただく事で大会にも注力できるようになり、大会での順位も毎年少しずつ上がっていった。
そしてついに2012年11月、ISCA主催のカリカチュア世界大会において、目指し続けた世界一の称号を手にすることができた。
今後は、より多くの人に自分のカリカチュアで笑って喜んでいただき、「“絵描き”と言えば“渡辺”」と言われるような位置で活躍することを目指している。