1988年にメジャーデビューしてから、その透き通る歌声で多くの人々を魅了してきた。
日本で活躍する多数の歌手が「歌の上手い日本人歌手」として彼の名を上げる、
プロの世界でも一目置かれる存在だ。
自身がフロントマンを務めるSing Like Talkingは、武道館ライブも行った。
そんな彼がプロを志したのは、高校3年生の「ある夜」の事だった。
誰でもふと突き動かされるような衝動に駆られることはあると思う。
しかし、本日登場するスゴい人はその一瞬の衝動を持ち続け、ぶれない想いとして表現し続ける。
音楽の第一線で活躍してきたスゴい人が大切にする考え方とは?
さあ・・・シンガーソングライター佐藤竹善様の登場です!
「信じることを信じる」
小さい頃から音楽が好きで、中学校でベースを始めました。
中高と音楽は続けていましたが、プロになりたいとは思っていませんでした。
「太陽にほえろ」が好きだったので、警官になろうと思っていました。
そんな私が音楽で生きていこうと本気で思ったのは、高3のクリスマスの時のことです。
ビリージョエルのライブアルバムを朝まで繰り返し聞いていました。
そして、なぜか朝方にはプロのミュージシャンになると心が決まっていました。
何の根拠もありませんが、なれると思い込んでいました。
でもオリジナル曲を作ったことがないし、作詞なんてできない。
そこで、別のバンドで作詞をやっていた藤田千章を誘いました。
真冬の雪の中、自転車で会いに行って朝まで話し続けました。
朝方6時頃にやっと藤田を口説き落としたんです。
彼を説得する為に作った曲が人生で初めてのオリジナルですね。
それから藤田と作詞作曲を始めました。
ひたすら音楽を聴きながら傾倒するミュージシャンのルーツを探っていきました。
すべての音楽には背景があり、それを知っていく作業は楽しかったです。
どんなアートでも無からは何も生まれません。
体験や感動の積み重ねが自分の方向性を作っていきます。
それから自宅でデモテープの録音を始めレコード会社に応募の電話をしたものの、
すべて断られてしまいました。
それならライブ、と出たものの、客はまばら。
そんな時期がしばらく続きましたが、あるコンテストに応募したら全国大会に出られて、他の出場者が流行のビート・テクノ系を演奏する中、優勝できました。
初めて自分の音楽を認めてもらえたことが非常に嬉しかった覚えがあります。
優勝をきっかけにデビューしたものの、大々的に宣伝してもらいながらもCDが売れませんでした。
2枚目も3枚目も売れない。
周りの人たちも減っていく中で、プロデューサーはやりたいことをやらせてくれました。
売れるような方向に変更した方が良いという声もありましたが、自分が良いと思うものを曲げたくなかったんです。
やっと売れ始めて、信じることを続けて良かったと思えました。
すべては心から始まっています。
その時々の状況に流されず、最初の純粋な気持ちを信じ続けることが大切です。
最初から夢を理想的な形で進めることはなかなかできません。
大事なことは目の前にあることをきちんとやること。
楽しんでやること。
その先に将来が広がっていると思います。