パチンコ業界を変革するために一人の男が立ち上がった。
業界の常識を覆す、「パチンコはサービス業である」という理念を掲げ改革を断行した。
彼の行動が起爆剤となり、当時1000億円の売り上げだったマルハンは、20倍の2兆円を売り上げる企業となり、業界のリーディングカンパニーへと成長を遂げた。
改革は自身が理想とするパチンコ店を作るところから始まった。
さあ・・・株式会社マルハン代表取締役社長 韓 裕様の登場です!
「パチンコ業界を変革する」
私がマルハンに入社した時は30店舗を展開しており、1000億円の売り上げがありました。
当時のパチンコ業界はひどい有様で、パチンコ業を客との駆け引きと言い、顧客不在の議論がなされるばかりでした。
マルハンの全国の店長が集まる会議で、「パチンコはサービス業であるべきだ」と訴えかけても、背面服従というのでしょうか、現場では全く実行してくれません。
だから、自分が理想とするモデル店を作ることに決めたんです。
でも、現実は厳しかったです。
まず、人が集まらない。
学生時代の後輩や友人を口説き回り「マルハンを変えるんだ!日本のパチンコ業界を変えるんだ!」と熱く夢とビジョンを語ったのですが、店舗に立ちパチンコホールで働くという現実が
目の前に立ちはだかり、「それはちょっと・・・」と敬遠されました。
本来なら、店を運営するには30名のスタッフが必要なのですが、5名しか集まりませんでした。
それでも、熱い志を持った同志です。
残りのメンバーは女性のアルバイトを雇って、なんとか1年がかりで店をオープンすることができました。
オープン初日、なんと玉を供給する機械が故障してしまった。
従業員は全員パニック状態です。
女性のアルバイトも対応ができず泣き出す人もいました。
初日が終わり意気消沈するメンバーに、『自分達はパチンコ業界を変えるために働いているんだ。明日もがんばろう』とはっぱをかけました。
初日の大変さで心が折れて、辞めてしまう人が出るんじゃないかと心配していましたが、全員が次の日に出勤してくれたのです。
あの時は本当に嬉しくて嬉しくて涙が出ました。
お客様に対して、きちんと挨拶をしたり、名前を覚えたり、また軍艦マーチを取りやめたりと、居心地の良い空間作りにも務めました。
やがて売り上げは、うなぎのぼりに伸びていったのです。
このモデル店のメンバーがこの後の全社改革を進める原動力となりました。
それからも、新卒社員採用を実施したり、マルハンパチンコタワー渋谷を立ち上げたりと改革の手を緩めること無く進めてきました。
『パチンコ業界を変える』ということは極めて難しい問題で、次々と困難が襲いかかって来ましたが、絶対に改革を実現させるのだという強い信念のもと信頼できる仲間たちの不眠不休の努力のおかげで乗り越えてくることができました。
お客様をもてなすサービスの質を高め、日々進化させる事により、マルハンの「人」が業界を変え、「世界レベルのエンターテイメント企業になる」というのが究極の目標です。