経済のグローバル化が進み、外国人と一緒に仕事をする機会が増え、自分の考えを適切に表現し相手に伝えることが、ますます重要になってきた。だが、自己表現することに苦手意識を持っている人も多い。
本日は、そんな悩みを解決し続ける日本のパフォーマンス学の第一人者が登場する。
某首相経験者を始めとした政治家やジャパネットたかたの高田明社長やニトリの似鳥昭雄社長など、多くの会社経営者が彼女と共に自己表現力向上の努力に余念がない。
直接スピーチや記者会見の指導をした国会議員、知事、市長の数も47人におよぶ。
彼女がパフォーマンス学の第一人者になるまでには、想像を絶する努力があった。
さあ・・・日本大学芸術学部教授株式会社国際パフォーマンス研究所代表社団法人パフォーマンス教育協会理事長、佐藤綾子様の登場です!
「志という名の履歴書」
ニューヨーク大学にパフォーマンス学が新設されることを知って「絶対に1期生にならなきゃ」と心に決めました。その担当教授に授業を受けたいと手紙を書いたけれど、返事が来ない。
でも、知り合いでもない日本人に返事を出さないのは当たり前です。だから手紙を何度も送り続けました。
39回目で「私の夫は心臓外科医で、留学に反対していて、離婚をされるかもしれない。それでもこの授業を受けたいのです。私を受け入れないのはあなたの自由です。でも返事はください」と書いたら「受け入れます」と返事が来たので飛び上がって喜びました。
脇目もふらず必死に勉強して、パフォーマンス学の修士号を通常2年かかるところを11ヶ月で、しかも成績はオールAで取得。日本人は私一人でしたね。
帰国後、国立競技場のロッカールームで偶然知り合った女性に「あなたの経験を記事にしなさい」と言われて、A4サイズ4枚に留学記をまとめて送りました。すると2週間後に“主婦一人ニューヨーク留学記”として朝日新聞にA4サイズの大記事が上下2段で掲載されたのです。それが本の出版に繋がりました。
縁とは不思議なもので本当に感謝をしています。
大学でパフォーマンス学を教えたくても、コネもなく当時は中学の非常勤講師。
そのため、玉川学園大学の理事長に非常勤講師になりたいと手紙を出しました。しかし1ヶ月待っても返事が来ない。直接訪問すると学長は留守。でも、なんとか会っていただき、「御校の教育理念である『全人教育』をするためには、パフォーマンス学が必要です」と直談判しました。
まずは学生が集まるイベントで講義をして反応を見ることになり、実際にこれが学生に大ウケで興味を持ってくれて、1コマ授業を受け持つことになったのです。
パフォーマンス学会設立の時も、アサヒビールの樋口会長に長野駅でばったり会い、偶然空席だった隣に座らせて頂き、「日本がグローバル化をするにあたって自己表現力が絶対必要になるから、『産学協同』体制で学会を作りたい。ついては会長を引き受けてください」と上野駅までの3時間訴え続けた結果、会長を引き受けてくれたのです。
私は元々コネも人脈もありませんでした。
しかしパフォーマンス学は、日本のためになるから広めたいという志だけはありました。
その志があったからこそ賛同して力を貸してくださる方が現れたのです。
これからも、日本の自己表現力向上のために頑張ります。