
歴代最多の金星16個三賞19回、殊勲賞7回、敢闘賞8回、技能賞4回。このいまだに破られぬ記録・・・どれだけ、力士の素質を持って生まれてきた男なのか?そもそも、天才力士だったのか?みなが、そう思うに違いない。もし・・・その力士が、圧倒的に不利とされる身長が低い力士だったらどう思いますか?どうして、そこまで昇れたのか?どうして、諦めなかったのか?今日の能力や環境なんて、あなたの未来には足を引っ張る原因にはならない!そう、今日の力士が教えてくれる。さあ、元安芸乃島 高田川勝巳様の登場です!「私の心の強さを育んだ、父親の厳しさ」広島県東広島市に生まれました。決して裕福な家ではなく、物心ついた時から朝、漁の仕事を手伝ってから学校に行っていました。(働かざるもの食うべからず)厳しい父に来る日も来る日も殴られて育ち、父とはそういうものだと子供の頃は思っていました。そんな父の勧めで柔道を小学3年生から始めました。広島県下では、無敵になり、広島巡業に訪れた大関貴ノ花(故二子山親方)に出会い、親方が「体が大きいな。相撲をやらないか?」と声をかけられ「はい」と即答したのが、相撲道へのきっかけです。柔道を続けると信じていた母は泣きましたが、父は、「死んでこい」と言い「死んできます」と答え上京しました。14歳で入門、毎日100番以上の稽古、誰よりも多く練習をすると心を決めた私は、早朝4時の稽古開始ですが毎日誰よりも早く起きて稽古していました。多い時は200番以上の猛稽古。角界一とまで言われた厳しさは「本当に死ぬかもしれない」と思いましたが、相撲で骨を埋める覚悟でしたのでやめたいと思ったことはありません。大人も子供も人間はみな悩んだり迷ったりして生きていると思います。でも夢を持ち、あきらめずに努力し続ければいつのまにか夢は叶うものだと思います。努力は絶対に裏切らないから・・・相撲は人生そのものであり、自分の命でもあります。弟子は、私の宝物です。親方と両親には本当に感謝しています。私の相撲道はまだまだ続きます。