数々の銭湯の設計を手掛けるスゴい人!

予期せず突然独立することに

銭湯と仕事を結びつける運命の出会い

お客さんの声がご褒美

近年、東京都内の銭湯がメディアで特集されることが多くなった。
各家庭に内風呂が普及したことによる客離れや経営者の後継者問題もあり、現在では都内に約600軒となり、最も多かった時代に比べて4分の1以下に減ってしまったが、一方でリニューアルにより新たな魅力を持った銭湯が再び注目を浴びている。
モダンでおしゃれな空間、新しく快適な設備を備えながらも、歴史を感じさせる要素が残る、そんな銭湯が増えているが、その設計を手掛けているのが本日のスゴい人。
彼はなぜ銭湯の設計を手掛けることになったのだろうか。
また、老若男女を引き寄せる魅力的な空間は、どのようにして生み出されているのだろうか。

さあ…
株式会社今井健太郎建築設計事務所 代表取締役
一級建築士 今井 健太郎様の登場です!

ガウディに惹かれ、美術大学から建築の道へ

小さい頃から絵を描くことは好きでした。
実家が不動産屋をしていたので、将来は家業を継ぐべきなのかと思っていたのですが、高校生の時にふとしたきっかけで美術大学というものを知り、家で軽く話してみると「良いんじゃない」と言われて、直感でそこから一気に美大の道へ。
大学時代は、学校の勉強以上に自己活動に力を注ぎました。
アルバイトをしては海外旅行をしていたのですが、4年生でスペインを訪れたときにガウディの作品を見て感動し、建築をやってみたいと思うようになりました。
その後、大学院在学中にもう一度、今度はガウディの作品を見る為にスペインへ行って、バルセロナのカサ・ミラやサグラダファミリアに強く影響を受けました。

予期せず突然独立することに

大学院卒業後、設計事務所に7~8年ほど勤め、独立したのですが、本当はそのタイミングで独立するつもりはありませんでした。
日本で建築をやるならこの方の下で働きたいと思い、ある建築家の方の事務所の門を叩いたのですが、人員整理をしたばかりで新しく人を雇うことはできないと言われ、お話ししていると「自分でできそうだからやったらいいんじゃない」と。
自分ではできるわけがないと思っていましたが、この時も直感で「まあ、じゃあやるか」と独立しました。
最初の1年間は、先輩の手伝いをしたり、アルバイトもしながらなんとか生活していました。

銭湯と仕事を結びつける運命の出会い

設計事務所というのは安月給で、そんな中でも何とかして自分のお小遣いを捻出したくて、ある時期から家賃の安い風呂なしの家に住みはじめました。
たまたま引っ越した家の近くに良い銭湯が5、6軒あって、勤めていた頃から毎日近所の銭湯をローテーションして通っていたんです。
独立してから、何か仕事につながることはないかと一生懸命探していた頃、京都から友達が遊びに来て、一緒に足立区にある大黒湯に行きました。
その頃は、平日は近所の銭湯に通いながら、休日になると少し遠くの銭湯まで行く、銭湯巡りのようなことをしていました。
大黒湯は「キングオブ銭湯」と呼ばれる、東京で最も立派な宮づくりの銭湯なのですが、浴室で仙人のような、主みたいな方が隣に座って、話しかけてくれました。
他愛のない世間話だったのですが、その人の周囲は、不思議な空気が流れて。
その時ふと「銭湯を設計するのは面白いんじゃないか」と突然閃いたんです。

リサーチと「夢銭湯」が依頼につながる

まず設計するにしてもその対象をよく知らなければ始まらないと思い、あらためて設計者目線で銭湯を訪ねてリサーチをしました。
通常、商業施設でも美術館でも建物には「設計資料」というものが普通は出回っているのですが、銭湯にはそれがありません。
だから自分で足を運び、間取りを書き取り、設備や時間ごとの客層、雰囲気や環境、そして設備の種類などの情報をまとめていきました。
このリサーチをしながら営業資料を作り、プレゼンをして回りましたが、最初は見向きもされませんでした。
そのうち自分で「こんな銭湯があったらいいな」という理想の銭湯の絵を描くようになり、それを見て気に入ってくださった方から銭湯のフリーペーパー『1010』をご紹介いただき、「夢銭湯」の連載が始まりました。
記事を見て足立区の大平湯さんから設計のご依頼をいただき、それが初めての銭湯の仕事になりました。
今までにない銭湯を作りたいとのお話で、自分のやりたいことと、オーナーさんのやってほしいことが合致して作れたのはラッキーでした。
リサーチはしていたものの、はじめての設計時は外から見ていただけで内部の構成がどうなっているのか知らない部分もあり、まだ知識が足りないと感じたこともありました。
また、狭い業界の中に突然入って行った新参者だったので、最初はないがしろにされたり、邪魔者扱いされたこともありました。
ただ、辛いと感じることはありませんでした。
もともとかなりタフなのもありますが、好きだからやれているんです。
人から見たら大変かもしれませんが、自分の思ったものに向かっていること、自分の設計したものが使われることは根本的に自分にとって幸せなことなので、苦になりません。
最初は1年に1軒あるかないかというペースでしたが、だんだん実作を見て多くのご依頼をいただくようになりました。

お客さんの声がご褒美

オーナーさんのお金で建物を作るわけですが、億単位の一生ごとを託してもらえるのは本当にすごいことで、その信頼に応えようという気持ちが大きなモチベーションになっています。
失敗したら多大なる迷惑をかけますし、その責任感は大きいですね。
また、銭湯にはエンドユーザーの方々がいます。
完成すると自分も足を運ぶのですが、そこでお客さんたちが「きれいになったね、気持ちが良いね」と言ってくれているのを聞けるのは、本当にうれしいです。
空間そのものを直接的にほめてもらえるというのは他の建築ではなかなか無いことですし、自分にとってのご褒美になっています。

懐かしさと新しさの中に建物一つ一つの個性を

設計をする上では、まず懐かしさと新しさの両方を持たせるようにしています。
銭湯というのは鎌倉時代から続く日本の文化であり、残すべきものですが、それだけでは減って行ってしまいます。
懐かしさの中にも現代的な要素や技術を取り入れ、新しさを持たせることで、若い人も含めて新たなお客さんに来ていただきます。
また、コンセプトを作ることを大切にしています。
その銭湯の持つ時代背景や地域条件、個別条件、社会条件をもとに、オーナーさんと話し合い、建物一つ一つに個性を持たせるように心がけています。

やりたい事をするためには、準備しまくる!

何かやりたいことがあるのなら、準備が大切になると思います。
自分では準備のつもりでやっていたわけではないですが、振り返ってみるとリサーチをして、夢銭湯を描いていたら、スッと依頼が入ってきたような感覚です。
日本の銭湯のような裸での温浴というのは世界ではあまり無いのですが、今後はJapanese Styleの温浴空間を海外にも広げていきたいと思っています。
実はすでにアメリカの施設を設計していて、更に海外に向けて展開していくつもりです。
これも、海外の仕事をしたいと思い、その為には株式会社にしておいた方が良いと思って株式会社にした2か月後くらいにご依頼をいただきました。
準備したら、求めていたものがやってきました。
そういうシステムなんだろうなと仮想して、理屈はわからないけれど、不思議な人生の仕組みだと思っています。
美大に進むときも、設計士を目指すときも、独立するときも、銭湯を選んだ時も、ターニングポイントで直感が働いて今があるので、言葉では上手く説明できないのですが、直感と準備を大切にしています。

取材を終えて

日頃からできることに取り組み準備をしつつ、決断が必要な時には直感に従い、今日に至るまでの道を切り拓いていらっしゃった今井さん。
お仕事をされていて嬉しいことをお聞きした際に、「信頼に応えようという気持ちがモチベーション」「お客さんが空間をほめてくれることがご褒美」と仰っていたのが本当に格好良くて印象的でした。
私にとって460円でできる贅沢であり、日常の中の非日常のような存在の銭湯。
今後は近所だけでなく、少し足をのばして、建物一つ一つの個性や、町の雰囲気もあわせて楽しんでみたいと思います。

プロフィール

今井 健太郎(いまい・けんたろう)
株式会社今井健太郎建築設計事務所 代表取締役
一級建築士

大平湯、大蔵湯、万年湯など、東京都内の銭湯をはじめとする「湯空間」のほか、住宅や店舗、オフィスなどの設計を手掛ける。

1967  静岡県生まれ
1992  武蔵野美術大学大学院造形研究科卒業
1992〜 ㈱三輪環境計画
1994〜 ㈱ブラックステューディオ設計事務所
1998  今井健太郎建築設計事務所設立
2010  銭湯振興舎設立
2015  株式会社今井健太郎建築設計事務所設立

賞歴
河南町複合文化施設設計競技優秀賞
久宝寺寺内町町家型建築設計競技優秀賞

◆株式会社今井健太郎建築設計事務所 http://imai88.jp

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