【黒江 透修】大怪我を乗り越え、プロ野球選手として活躍したスゴい人!

黒江 透修

本日登場するスゴい人は、9年間連続日本シリーズを制覇した、V9巨人の内野の要として活躍したスゴい人!

高校卒業後、7年半の社会人時代を経て、1964年に読売ジャイアンツに入団。
1967年には129試合に出場して打率.278を残し、レギュラーに定着。
1968年には遊撃手でベストナインに選出された。
以降、1973年まで毎年ほぼフル出場し、1974年の引退まで約11年間活躍を続けた。
77歳の現在も、野球評論家として活躍を続けている。

これほどの活躍をするスゴい人だが、小学生の頃に右手に大怪我を負い、一時は野球をできなくなるかもしれないという状況にあった。

さあ…
東京中日スポーツ 野球評論家
株式会社黒江企画 代表取締役
黒江透修様の登場です!

「球如一心」

兄とのキャッチボールに始まり、小学3年生から野球部に入り、幼い頃から野球一筋でした。
しかし5年生の時、家業を手伝っていた際、精米機に右手の指を巻き込まれ、指先が無くなってしまったのです。
「もう野球をできない」と絶望的な気持ちになりましたが、急いで町医者に行くと、爪が1ミリだけ残っていて、少し経つと爪が生えてきたのです。
「これなら野球をできる!」野球を続けたい気持ちが奇跡を呼び起こしたのです。
しかし、怪我のせいで球を投げる時に指が引っかかり変化球になってしまうので、指の事で一番苦労しましたね。

中学時代からプロを目指すようになり、高校では硬式野球部へ。
指先の皮がもろく、球の縫い目で擦り切れて血が出てきてしまうので、指で硬い所を叩き続け、タコを作って硬くしていました。

高校卒業後、7年半社会人をしながらノンプロで野球を続けていましたが、1964年3月に父が亡くなりました。
何かあると相談し、離れていても手紙を書いていた尊敬する父を亡くしたことはショックでしたが、同時に「これからは自分が頑張らなければ」と決意しました。
それから、何かが乗り移ったかのように大会で結果を出すことができ、ジャイアンツから声がかかって、8月に入団。

プロに入って、また一から練習が始まりました。
コーチの荒川さんからは「ネットを突き抜けろ!」と言われ、何度も何度もバッティング練習をしました。
厳しかったですが、教育してもらったおかげで覚えることができました。
黒江という名を何とか野球界に残さなければと、練習は人一倍やっていました。
今思い返せば褒めてやりたいですが、当時はそれを努力とは思いませんでした。
上手くなりたい、ゲームに出たいという一心で、ひたすら練習を続けました。
練習は嘘をつきません。

努力は、自分で言うべきことではありません。
他人から認められて初めて努力と言えるのであって、成果の伴わない努力は自己満足でしかないのです。
一球入魂、魂の入った練習をしなければ結果は出ないのです。
そして、本当に努力をして、それでも結果が出なかった人は、辞めた後に必ず素晴らしい指導者になるのです。
活躍する人は人一倍努力しているし、誰よりも気配りをしているものです。

今77歳ですが、野球人生の最後はジャイアンツで締めくくりたいと思っています。

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