ソフトウェアのテスト業界において圧倒的No.1企業を創業したスゴい人!

以前は、ソフトを作ったら開発担当者がテストまでを行っていた。
しかしこれでは圧倒的に効率が悪いし、開発者たちのモチベーションも下がってしまう。
ここに目をつけてソフトウェアのテストを請け負い、今やこの業界で圧倒的No.1になった会社がある。
2014年11月、東証マザーズ上場。
株式会社SHIFT。
実は、小学生の時に起業をする!と決めて30歳で起業して、40歳で上場。
サラリーマンをやめてから普通は「何をやるか?」を考えるのに、ずっと「何のために?」を考え続けて今があるという。

さあ・・・株式会社SHIFT 代表取締役社長 丹下大様の登場です!

「他人との競争よりも心躍ることをやろう」

今でも覚えている。
小学校4年生の時に、母に聞かれた。
「何をやってお金を稼ぐの?」と。
地元、広島でヒーローと言えば、広島カープの山本浩二。
彼の年収が当時8000万円と知っていたのでどうしても母を喜ばせたかった僕は迷わず、“プロ野球選手になる!”と言った。
僕の家は決して裕福とは言えない家だったので、将来母にお金をあげるって言えば喜んでくれるんじゃないかって、そう口にしたことを今でも覚えています。
しかし、気づきました。
日本人の全人口のうち、プロ野球選手になれる人数は少なく、更に、スタープレイヤーはごく僅かだということに。
このとき代替案として出たのが、経営者でした。
それから同志社大学に進学しました。
しかし、ロン毛で自由な服装で就活をしていた僕は13社受けて、すべて落ちてしまいました。
今考えたら当然ですが、当時は僕のことを理解してくれる会社にしか入りたくない!
という姿勢でした。笑
慌てて大学院の試験を受けましたが、時すでに遅し。
人生で初めて挫折をしました。
留年すると家に負担がかかってしまうので、卒業してフリーターをしながら大学院を目指し勉強しました。
あれほど勉強した1年はなかったと言えます。
その結果、理系では国内最高レベルの京大の大学院に入れましたが、入って知ったのです。
天才が、ゴロゴロいる。
だから、僕は彼らと戦う研究職での就職は諦め、コンサルティングファームを目指しました。
自らが身をおく環境では絶対に一番になると決め、一番になるために、大手のコンサルティングファームではなく小規模の会社に入りました。
結果、1000名を超える会社に成長してもずっと1位でいることができました。
それでも、僕よりも優秀な人はいる。
僕は競争では勝てない。
なので、30歳で起業した時も、何を売るか?よりも“何のためにやるか?”を大事にして、想いと存在価値で勝負をしようと決めました。
ソフトウェアのテストのニーズを知った時も、市場規模が4兆円もあるのにそれを専門でやっている会社がほとんどない。
ここに賭けて、前職の後輩に声をかけ、SHIFTで一緒にがんばる仲間を集め、この市場にすべてのエネルギーを投下しました。
勝算のある市場で、誰もしない圧倒的な努力をすれば勝てる。
僕は、誰でも心躍ることを見つければ圧倒的な努力をできると思っています。
僕は言いたい。
今やっていることは、心躍ることですか?
今やっていることをやり続けたら、いつか、心躍ることをできるようになりますか?

◆株式会社SHIFT
http://www.shiftinc.jp

◆丹下大著書
『できないとは言わない。できると言った後にどうやるかを考える』
http://urx2.nu/gpcz

※上記サイトは、一部携帯では見られない可能性があります。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう