【加藤 清隆】北朝鮮の核施設の詳細を世界で初めて報道したスゴい人!

加藤 清隆

本日登場するスゴい人は、時事通信社の記者として長年にわたり数々の特ダネを取り続けてきたスゴい人!
彼は記者時代に北朝鮮の核施設の詳細を世界で初めて報道。
その記事は、アメリカのニュース雑誌「TIME」のカバーストーリーにもなった。
また、多くの政治家からも信頼を得て永田町の政治記者として長年政局を見守ってきた。
自ら百点満点だと言える彼の記者人生とは?
さあ・・・政治評論家 加藤清隆様の登場です!

「記者は私の天職」

小学生の頃から社会科が好きで、先生に代わって授業をしてしまうような子どもでした。
当時から学級新聞や学校新聞を書いていて、新聞記者になりたいという気持ちが強く、記者になれる確率の高い、早稲田大学政治学科へ進学し、卒業後は時事通信社に入社しました。
政治部に所属し、当時の福田首相番をしたりしていましたね。
新聞記者は、自分の天職だと思っていました。
特ダネは、偶然とれるものではありません。必ず狙って取りに行きます。
だから、他の記者により大きな特ダネを取られると悔しくて、悔しくて。
自分が負けるわけがないという気持ちで、特ダネのためには徹底的に努力をして、打てる手はすべて打っていました。
また、人に話せば必ず情報は洩れるので、常に単独行動をしていました。
特ダネを掴むと、時には自分の命が危険にさらされることもあります。
そして、情報提供者に対しても同じ危険があります。
私は情報源の秘匿を何よりも優先してきました。
特ダネの資料は常に肌身離さず、特ダネ情報を得ても、自分で記事にできないことは焼却処分し、何かあった時には会社を辞める覚悟で常に仕事に取り組んでいました。
そのくらいの覚悟が無ければ、特ダネを取ることはできません。
講演などで話す仕事も30年程続けていますが、新入社員研修では「頑張って、頑張って、もうだめだと思った時こそ頑張り時」だと、よく話しています。
誰でも時間は平等で、1日は24時間しかありません。
限られた時間の中で、一日のほんの2~3分の努力を継続すると、5年、10年と時間が経ったときに山ほど差がつくものなのです。
それくらいしか、他人と差をつける余地などないのです。
私自身も、それをずっと実践してきました。
記者の世界は、必ずしも努力が報われる世界ではありません。
常に抜くか、抜かれるかの勝負の世界の中で、他の記者より早く特ダネを掴むために、電話1本でもいいから、常にコミュニケーションを取り、信頼関係を築くことを心がけていました。
私は60歳までの記者人生を100点満点だと思っています。
それは、自分にとって取るべき特ダネはすべて取ってきたという自負があるからです。
今の私は、「日本の名誉回復のために命を懸ける」と神様に誓いました。
これからは、従軍慰安婦問題など虚偽の事実で傷つけられた日本の名誉回復のため、後半生を捧げたいと思います。

◆出演番組「たかじんのそこまで言って委員会」
毎週日曜日ひる1時30分放送(関西地域)
http://www.ytv.co.jp/takajin/

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