【戸川 昌子】推理作家・シャンソン歌手として50年以上もの間活躍を続けるスゴい人!

戸川 昌子

本日登場するスゴい人は推理作家、シャンソン歌手、そして女優やタレント、コメンテーターなどマルチに活躍を続けるスゴい人!
推理作家としては、1962年『大いなる幻影』で第8回江戸川乱歩賞を受賞。
翌1963年には『蝋人日記』が直木賞候補になり、ベストセラーに。
その後も100タイトル以上の作品を執筆している。
シャンソン歌手としては、1957年頃から銀巴里に出演し、現在もなお精力的にライブ活動を続けている。
1979年には48歳で高齢出産を経験。女手一つで息子を育てあげた。
さあ・・・シャンソン歌手・推理作家 戸川昌子様の登場です!

「今を自分らしく生きる」

私が子どもの頃、父が読書家で家には本がたくさんありました。
本ばかり読んでいる子どもでしたね。
今みたいに娯楽が無かったから、月に一度ヤマハのホールでレコードを聴く会があって、そこでシャンソンを聴いていました。
高校は1年半くらいでお金が無くて辞めて、夜学でタイプの勉強をして、16歳で伊藤忠に英文タイピストとして入社しました。
当時は戦争があったから英語は絶対に使っちゃいけない時代だったけど、英文タイピストの方が給料が良かったし、子どもの頃からイギリス文学を読んでいたから、英語が分からなかったら困るだろうと思ったんです。
会社員時代は仕事帰りに新宿にあるシャンソンばかり流している小さい喫茶店や銀巴里に通って、シャンソンを聴いていましたね。
ただ、私は毎日同じことの繰り返しが嫌いで、10年働いて退職し、ステージで歌いながら合間に小説を書く生活を始めました。
30代の頃はほとんど睡眠時間なんてありませんでしたよ。
貧乏だったから、昼働いて、夜はバーで働いて、夜中も小説を書いたりして働いて、でもそれが当たり前だった。
戦争で父と兄を亡くしたので、母と二人で生きていけるように働いていました。
48歳で息子を産んだけど、「青い部屋」をやっていたから出産の前日まで仕事をしていました。
一人で病院まで産みに行ってそれから子育てが始まりました。
息子を保育園に預けて仕事をしていたんだけど、他の家は夕方に迎えが来るのに私は夜遅くにならないと迎えに行けなかったからかわいそうでしたね。
一人で育てるのは大変だったけど、今では立派に育ってくれて一緒に歌を歌えているから、幸せです。
ずっと一人で、寂しいのは日常だけど、寂しいと思わないとモノなんて書けませんよ。
一人でも家族がいても、孤独感が無いとね。
人生とは、明日のことではなく今日のこと。
今を自分らしく生きていきたいと思っています。

◆ホームページ「青い部屋」
http://aoiheya.com/
※一部携帯では見られない可能性があります。

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