【菊地 宏】個人で不動産会社を運営し大規模都市開発を行ったスゴい人!

菊地 宏

不動産の価格が値上がりしていた1960年代に作詞家を目指して23歳の時に上京し、実家の山を一つ売って、東京の渋谷に家を購入。
1年も経たないうちにその家を欲しいという人が現れ利益が出た。
不動産販売の面白さに目覚め、東京の様々な地域で土地の売買を行った。
電電公社(現NTT)の指定業者に土地を販売したことをきっかけに、入社した不動産会社で電電公社の担当となり、32歳で独立。
すぐに野村不動産や三井不動産などなどそうそうたる顔ぶれのNTTの指定業者16社のまとめ役に抜擢された。
彼は個人で不動産会社を経営しながら池袋サンシャイン前、錦糸町、西新宿、六本木、西神田、高田馬場などの大規模都市開発を、大手不動産会社とともに手がけた。
さあ・・・関東不動産株式会社 代表取締役 菊地宏様の登場です!

「運とタイミング」

23歳の時に田舎の実家が持っていた山を一つ売って、渋谷区富ヶ谷に家を買いました。
そうしたら、次の年にその家を売ってくれという人が出てきて買った値段より高く売れたのです。
次に成城学園の家を50万円で購入したら、購入してから1週間しか経っていないのに80万円ですぐに売れました。
今の金額にして600万円程の儲けです。
この時に、不動産ってすごく面白いなと思って興味を持ったのです。
当時は就職のために東京に人が集まってきていて、電話線を引くための基地局や社宅のために電電公社が土地を必要としていたのです。
いくつか不動産を売買する中で、お付き合いのあった電電公社の出入りの不動産会社からまとまった土地が無いか問い合わせがあったのです。
土地を探していたら、東京都の都市計画で建物を立てられなくなってしまうという土地に地主の方が20人程集まって反対の集会をしている所に出くわしたのです。
そこで、この土地を電電公社に譲ってくれないかと話をしたら、二つ返事で話がまとまったのです。
2万3千坪の土地だったかな。
本当にタイミングって重要ですね。
この話がまとまったお礼として、家が4件購入できるほどの大金をいただいたんです。
本格的に不動産を勉強しようと不動産会社に入社して、電電公社の勧めもあり32歳の時に独立して不動産会社を興し、電電公社指定の不動産業者になりました。
当時電電公社には指定の不動産業者が16社あったのですが、私がまとめ役の幹事をやることになったのです。
三井不動産や野村不動産などそうそうたる会社の役員たちというメンバーでした。
最初は恐縮して断っていたのですが、「多数の実績を上げている菊地さんにお願いしたい」と言って頂いたので、引き受けたのです。
幹事をしたことで、不動産業界に人脈が一気に広がりました。
東武鉄道の沿線を担当して、沿線が伸張するとともにたくさんの仕事をさせていただきました。
今までで一番大変だったのは、バブルがはじけて不動産価格が一気に10分の1になったことです。
あんなことはあってはならないことですよ。本当に。
幸い私の会社は、大手を真似て借り入れを総資産の20%以下にしていたから助かった。
それでも、手持ちの不動産をいくつかは売却しないとならなかったね。
周りの不動産屋はみんな資産の100%以上の借り入れをして不動産を購入していたから、多くの会社は消えていったんだ。
私が上手くいくことができたのは、全て電電公社とのめぐり合わせです。
たまたま出入り業者になることができた。
だから上手くいったのです。
運とタイミング、これが大切ですね。

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