【中 博】ナショナルブランドを統一させたスゴい人!

中 博

昭和42年に松下電器産業(現パナソニック)に入社後、ナショナルブランドの統一や神戸博松下館プロデューサーを務めるなど若くして大きな仕事を任された。
松下電器産業を退社後はビジネス情報誌「The21」創刊編集長を経て独立。
日本の先端オピニオンリーダー600人が集合して21世紀日本についての大討論会を主宰し、朝まで生テレビ、サンデープロジェクトの原型になるプロジェクトを手掛けた。
彼が松下電器産業から学んだこととは?
さあ・・・中塾代表 中博様の登場です!

「松下幸之助の教え」

松下電器産業に入社して本当に色々なことを経験させてもらいました。
一番印象に残っているのは、入社後の電池工場での研修。
耳の中から口の中まで全身炭素で真っ黒になりながら電池作りをしました。
炭素で真っ黒になる毎日です。
まるで工事現場にでも行く肉体労働者のようでした。
自分なりに、どうしたらもっと効率的に生産できるかを考えて工場長に何度も何度もレポートを提出していました。
昼間は電池を作り、夜はレポートの作成でほとんど寝ていなかったですね。
そのレポートが事業部長の目につき、後に本社の経営企画室に異動するきっかけになりました。
研修は6ヶ月間あったのですが、現場を知らずしてモノを売るなという松下幸之助の哲学を叩き込まれましたね。
それから、本社の経営企画室のメンバーとして、テレビやオーディオ機器など60ある各事業部と連携して商品企画をしていました。
当時問題になっていたのは、各事業部がバラバラに製品を開発していたので、ナショナルブランドで製品をそろえた時に統一感が無かったことでした。
同じ青色でも、商品によって微妙に色が違っていたのです。
家の中の家電をナショナルブランドで統一したら、何かバラバラな感じがするんですよ。
これじゃ、売れませんよね。
早速アメリカやヨーロッパに海外出張をして家電のデザインを学び、全社で統一したデザインメージを取締役会に提案して了承されました。
各事業部はそのイメージの元で製品開発することになったのです。
これには、部品を全社で一括購買するので大幅なコスト削減というおまけまでついてきました。
当時の松下電器には、「責任は上司が取り、仕事は部下に任せる。
その代わり死ぬ気でやれ」という社風があったのです。
だから、若手の社員も経営感覚が身につき、早くから成長できたんですね。
今は、様々な起業家を支援するために中塾を開いています。
事業をする上で大切なことは、やはり経営理念です。
自分達のサービスや消費を通じて日本という国に貢献する。
そういう松下幸之助さんの想いを持って事業をすれば必ず成功すると思います。
世界を相手に活躍できる日本人を一人でも増やしていきたいと思います。

◆中塾
中博による「NACADEMY」で松下幸之助研究を起点に時代の理念と戦略を学ぶ。
http://www.nakademy.jp/
※PC専用ページとなっております

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