ニューズウィーク誌“世界が尊敬する日本人100人”に選ばれたスゴい人!

子供の頃から中国が大好きで、心に描いた中国に行きたいという夢。
一直線な性格の彼女は大学で中国語を勉強し、中国に行くということを心に誓った。
彼女は中国へ留学し、その後、信頼できる中国人のビジネスパートナーとの出会いを経て中国で起業し、ニューズウィーク誌が選ぶ“世界が尊敬する日本人100人” に選ばれた。
2012年には女性向けビジネス誌・日経ウーマンの『2012 ウーマン・オブ・ザ・イヤー キャリアクリエイト部門』も受賞。
彼女は、中国で起業してから今まで大きな挫折は無かったという。
異国の地でビジネスを成功させる秘訣とは?
さあ・・・CRC世研グループ総経理 安田玲美様の登場です!

「日中友好の礎になるために」

日中国交正常化の年に生まれ、子供の頃は中国関係の情報が溢れていました。
国際関係に関心のあった母から、中国のプラス情報をたくさん聞きました。
上野動物園にはパンダが贈られ、「パンダを贈ってくれるなんて、中国は本当にいい国だ」と大好きになっていったのです。
決めたら一筋な性格で、中国に行く事を目指し大学では中国語を勉強しました。
しかし経済的には恵まれず、大学は新聞奨学生として通いました。
新聞配達は休みが無く、雨でも雪でも配達しなくてはなりません。
朝早くから起きて朝刊を配達し、大学の授業の後は夕刊も配達します。
新聞配達だけでは教材費等がまかなえず、新聞配達以外にもアルバイトをしました。
この頃、睡眠時間は3~4時間でした。
でも、中国語を学べる環境にいて中国に行くという夢に向かって一歩一歩進んでいることが本当に嬉しく、あまり辛いとは思いませんでした。
大学卒業後、留学生として実際に中国に降り立った時は、感動のあまり地に足がついていないようでした。
留学を終えた後は就職をせず、中国で衣裳を制作する会社を設立しました。
当事の北京では製造業の独資は認められていなかったので、中国の親友が紹介してくれた「友人の中で最も信頼できる」人と、親友が言うのなら間違いないと信じ、合弁会社を設立しました。
ところがこの業界には遅れてやってきたバブル崩壊の影響によって、予定していた日本からの注文は消え、開店休業状態に陥りました。
合弁パートナーにそのことを話すと、「気にするな、いつか再建できる時が来たらまたやればいい。それまでは俺に任せておけ」と言ってくれました。
その後、中国社会科学院の先生と出会い、2002年にその先生と一緒にマーケティングリサーチ会社を立ち上げることになったのです。
お金も経験も持たず、それでも中国で起業をして今までやって来られたのは、中国人パートナーのおかげだと感謝しています。
今、中国ビジネスの現場ではコミュニケーションギャップが大きな問題であると思います。
中国は隣国で地理的にも近く、同じ東洋人で見た目も似ているので、考え方も同じだろうと思って付き合うとうまくいきません。
価値観や考え方は違うのだという事を念頭において物事を進めれば、良い関係を築けると思います。
日本と中国は相互補完性が高く、良好なパートナーシップを築ければ、日中は世界に対して大きな貢献ができるに違いありません。
これからも盤石な日中関係の構築のために尽力していきます。

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