25年間芸能リポーターの最前線で活躍し続けるスゴい人!

日本テレビの専属芸能リポーターとして
“おもいッきりテレビ”
“芸能スクランブル”
“スクランブル3”
“キャッチ”に出演し
お茶の間の人気者となり、25年に渡って常に最前線で活躍し続けた。
しかし、彼のキャリアのスタートは、映画の宣伝マンだった。
そこから、どのようにして芸能リポーターになったのか?
さあ・・・芸能リポーター石川敏男様の登場です!

「出会い」

大学時代は松竹でアルバイトをしていた。
1960年代の映画業界は信じられないくらい経費がたくさん使えたんだよね。
先輩にも相当飲みに連れて行ってもらったな。
ぼんやりと、映画監督になったら面白いだろうなと思って、アルバイトからそのまま松竹へ入社したんだ。
入社後は主に、映画の宣伝を担当していた。
しばらくして、週刊誌から芸能ニュースの記事を書いてくれないか、という話が舞い込んだんだ。
映画業界にいたので書くネタはいくらでもあったし、宣伝のために文章を書いていたので原稿を書くのも苦にならなかった。
記事を書いてみて、書くことがこれほどお金になるんだということが分かったんだよね。
これが面白くて続けていったら、主婦と生活社の「週間女性」にスカウトされた。
芸能リポーターになったきっかけは、梨元勝さんが日本テレビからテレビ朝日に移るという中で後釜の候補として私を推薦してくれたんだよ。
それで、芸能リポーターになったんだよ。
だから入社試験も受けてないし、芸能リポーターの経験も当然無かった。
全て梨元さんのおかげかも。本当にありがたい。
日本テレビの“キャッチ”という番組で芸能リポーターをやっていたんだけど、オレが女性スキャンダルを起こしてしまって降板することになったんだよね。
この時メインキャスターをしていた小倉智明さんには本当に申し訳ないと思った。
だけど、その後小倉さんはフジテレビの『特ダネ』を担当することになったから、かってなこと言えば、良かったのかもしれないよね。
何があるか本当に分からないよね。
芸能リポーターは25年続けてきた。
本当に好き勝手やらせてもらって楽しかったし、ギャラもたくさんもらった。
でも、今の芸能リポーターは、自らギャラを下げてしまってリポーターの価値を崩してしまっているよ。
梨元勝さんと自分は、そういったギャラの破壊に抵抗してギャラを下げることはしなかった。
だって、芸能リポーターという職種の首を自分で絞めることになるでしょ。
でも時代の流れかな。
よく芸能の情報はどこから手に入れるのか聞かれるけど、知り合いからニュースの元ネタを仕入れる。
芸能の情報はどこに転がっているかわからないからね。
だから、人との出会いを大切にするし、出会った人ともすぐに仲良くなれるように努力している。
出会いと縁を大事にすれば不思議と物事うまくいきますよ。
是非ともお試しあれ。

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