【菅下 清廣】世界最大の証券会社メリルリンチで4年連続トップ営業マンになったスゴい人!

菅下 清廣

もともとは裕福な家庭だった。しかし、親の会社の倒産と共に貧しい生活に一転。逆境の中でも、自分の人生を変える為に努力した。
結果を出す為には頑張るだけではだめで、創意工夫が必要だ。
そのことを知った彼は次々と結果を出し、自分の将来を切り拓き、世界最大の証券会社メリルリンチで世界のトップ営業マンに贈られるchairmans’clubに4年連続で選ばれた。
今では、国際金融コンサルタントとしてメディアに出演し、本も多数出版している。
さあ・・・スガシタパートナーズ株式会社代表取締役社長、菅下清廣様の登場です!

「創意工夫をしよう」
私は、和歌山県に生まれました。実家では、祖父が魚市場、旅館業などいくつか事業を経営していました。
かなり凄みのある商売人でした。一方、勉強熱心だった父は、田舎では珍しく東京に行って化学や外国語を勉強していました。父は太平洋戦争後に失業して和歌山に帰って家業を継ぎました。研究者気質の父に商売は向かず、私が小学校5年の時に倒産しました。
裕福な家庭から一転して貧しい生活になったことが、私の人生にとって最初の試練でした。貧乏に負けるものかという思いで中学校三年間一生懸命勉強し、県で一番の進学校、奈良高校に入学しました。
そこで、努力すれば状況は変えられるという自信が付きました。
高校時代は文学に興味を持ち理数系は苦手でしたので国公立は諦め、奨学金がもらえ学費が安かった私学の雄、京都の立命館大学に入学しました。大学では、学費を稼ぐ為にアルバイトに精を出しました。その中で、高島屋でランドセルを売ったことが印象的です。
誰よりも売りたいと思い、どの時間に売れるかを徹底的に観察し、売れる時間は休憩を惜しんで売りました。1日69個の販売実績は高島屋史上最高の成績でした。創意工夫をして頑張るというやり方を見つけた原点でした。
そして、大学生時代に読んだ獅子文六の小説「大番」で田舎出身の主人公が株屋の丁稚奉公から社長にまでのし上がる姿に感動して証券会社に入社しました。
大和証券に入社した時一番厳しい部署に配属して欲しいと申請し、大阪の難波支店に配属されました。最初に厳しさを知ればその後もやって行けるだろうと思ったからです。
幸運にも難波支店に全国NO,1の営業マンがおり、その方から、トップになりたければ誰よりも知恵と知識を磨けと言われ、四季報を毎日読み、株価チャートを過去から遡って学びました。その結果、営業トップになりました。
3年半後、国際部署への異動がきっかけでメリルリンチに入りました。
メリルリンチは成績がすべてという厳しい環境でしたが、営業そのものは難波支店の方がずっと厳しかったです。その経験が生きて、メリルリンチでも営業トップを取り、世界中の営業トップが招かれるchairman’s clubに4年連続で参加しました。
目標を達成するには、自分で考えて創意工夫を加える事が大事だと考えています。創意工夫するには、歴史と賢人に学ぶことであなた自身の容積を増やすことが大切です。

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